2009年8月9日日曜日

神が味方なら

神が私たちの味方である以上、私たちに敵対できる者などあるはずがない。(ローマ8:31)

毎日の生活が余りにあわただしく、仕事や勉強のことで忙殺されている私たちにとって、いつも人生が戦場であることを知っている。私たちは、この人生の戦場において、身を処していかなければならないのである。その時、神が私たちの味方であるかどうかということは、最も根本的な、しかも大問題なのである。

敵の頭数や財源を問題にすることほど愚かで無益なことはない。というのは、神は人数の多さや権力の有無によって味方になるかどうかを決めるのではないからだ。確実なことは、正義の側に立っておられるということである。

そういうことになると、私たちが考えてみなければならないことは、私たちの仕事や勉強の目的・動機は一体どこにあるのかということである。神なのか、それとも自分自身なのかということである。私たちは、神が自分の側におられるのかどうかということが、いつも最も大きな関心事でなければならないはずである。神が自分の側にいてくださるということは、私たちがいつも神の側に立っているということであるはずだ。神はいつも神に従う人の側に立っておられるのである。

私たちはだれでも皆、実際は小心者なのである。自分の身分や資格や才能が気になったり、自分よりもほかの人の方が優れているように見えたりして、いつも不安で仕方がないのである。けれども、そのようにほかの人と比較したりしている世界など、本当の力や安心の土台などありはしないのだ。神が私たちの側にいらっしゃるかどうかということが一番重要な点なのである。神が私たちの味方であるなら、それこそ敵しうる者など何もないのである。

だから、私たちの関心事は、神にいつも従うにはどうしたらよいかということである。神に従うとは、神の御心に従うということで示されている。だから、聖書をよく読み、ただ読みっぱなしではなく、それを実行することが大切である。御言葉に従い、御言葉に生きる時、私たちは神が私たちの側におられることを体験することができる。