
一方、大学は戦時中の空襲のおかげで、いくつかの建物は焼失し、そのため、われわれ新入生たちは、二部授業をせざるをえなくなった。日月水金のクラスと日火木土のクラスの2つに分けられた。いずれも日曜日には授業をするのである。そのことを知った時、私はだれにも相談せず、日曜授業反対の署名活動を行なった。しかし今の時代とは違い、終戦直後の大学では、大学の方針に反対する文書に自分の名前を書くことは、それだけで大学ににらまれると考える学生が多く、署名に応じてくれる人はごく少数でしかなかった。そのため、それは挫折してしまった。
そこで今度は、大学内で日曜礼拝をしようと思い、その運動を起こした。クリスチャンと称する多くの学生たちは、これに協力するどころか反対する始末であった。日曜日の昼休みに来られる牧師のいるわけがないと言うのがその理由であった。しかし、私はこれを強行することとし、サークルを立て上げなければならず、そのため「キリスト者学生会」を作り、日曜礼拝を学内で行うことにした。この「キリスト者学生会」こそ、その後、日本全国のほとんどの大学に広がっていくキリスト教学生サークルとなっていった。
そして、私の大学では、学内で路傍伝道をしたり、大きな集会を持ったりして、多くの学生たちに生きる喜びを体験してもらった。消極的な私をこのように積極的な人間に変えてくださった神こそ、世界を創造し、支配しておられる全能の神にほかならない。