2008年5月20日火曜日

聖書について4

私は、翻訳原則を変えて、もう一度翻訳を始めた。いくつかの書は、すでに古い翻訳原則によるものではあったが、翻訳を終っていた。だから、比較的容易に新しい原則に変えて、手直しすれば、それで済んだ。

私は元来、短距離型の人間で、長距離はにが手であった。しかし、新約聖書の場合、使徒の働きまで訳し終った時、分量から言うと、全新約聖書の半分以上は訳したことになるのである。思わずこれはいけると思った。というのは、ローマ人への手紙、コリント人への手紙1、2、ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロ二ケ人への手紙、テモテへの手紙1、2、テトスへの手紙は、古い翻訳原則によってではあったが、翻訳が出来ていたからである。こうして、1978年に、新約聖書の翻訳は終った。

これを出すと、大きな反響が起った。ある人は、こんなことを言ってきた。「私はもう年寄です。私の目の黒いうちに、ぜひとも旧約聖書を出していただきたいと思います。」旧約聖書は、分量からすれば、新約聖書の三倍もある。その人の要望にはぜひとも応えてあげたいが、とても出来るものではないと思った。創世記、出エジプト記、ヨシュア記などは、すでに古い翻訳原則で訳してあったので、遅々としてではあったが、まあまあの速さで進められていった。毎日出来るだけ時間を取るようにして、翻訳を進めていった。

1983年の1月に、それまで日本プロテスタント聖書信仰同盟の実行委員長をしていたのを辞めることになった時、急に時間が取れるようになり、急ピッチで翻訳を進めることができ、その年の3月に翻訳は全部完成してしまった。そうなると、どうしてもその年のうちに出したいと思うようになった。しかし、こんなに分厚いものを突然印刷屋に持って行っても、引き受けてくれる所はなかなか見つからなかった。けれども、引き受けてくれる所が現われ、その年の秋に旧新約聖書を一巻本として出すことができた喜びは何にも代えがたいものであった。

私が翻訳に手を付けてから三十年余り経つ。私は改訂したい箇所があると、すぐ赤で訂正し、付箋を付けておく。こうして、改訂すること九回、今日第十版を出している。かなりの箇所が改訂されているので、十版を見ると、以前の版よりはるかに分りやすくなっていると思う。この「現代訳聖書」は、日本人のための私のライフワークでもある。