2009年2月9日月曜日

紆余曲折の人生

私は元々理科系の人間で、科目の中で一番好きなものは数学だった。その上、設計が好きだったので、将来は建築家になりたいと思っていた。ところが、戦争が激しくなり、男という男は皆戦争に駆り出されるという情況になってくると、やはり、一兵卒としてよりも将校の方がいいと考えるようになっていった。私が陸軍士官学校の方を選ばずに陸軍経理学校を選んだのは、経理部の将校は比較的後方勤務が多く、比較的死ぬ確率が低いというただそれだけの理由であった。

入ってみると、なんと理科系よりも文科系の科目の方が多かった。当時、一般の大学では、学生たちは皆勤労動員と称して、軍需工場で働かされていたため、授業はなく、優秀な教授たちは、皆陸海軍の学校で教えていた。そんなこともあって、文科系とは言え、その道の第一人者とも言うべき教授が陸軍経理学校にも来て、教えていた。だから、私は憲法を東大の宮沢俊義教授から習ったし、民法は戒野道孝教授から習い、また経済学原論は一橋大(当時は東京商大と言っていた)の山田雄三教授から習った。一流の教授に就くということは、その科目に興味を持つようにしてくれ、ことに私は法律にかなりの興味を持つようになった。

もちろん、理科系の科目もないわけではなく、ことに栄養学には殊の外興味を持つようになった。それは、川島四郎主計少将の弟子の興味深い栄養学の講議によるものであった。

しかし、敗戦になり、私が選んだ道は建築であり、私は大学の理工学部の建築科に入った。大学一年の時、私はクリスチャンになり、やがて牧師への道へ進むことになると、理工学部の建築科をそのまま進むよりも牧師としての基礎的な学問を身に着ける必要から、転部試験を受けて、文学部の史学科で西洋史を専攻するようになる。

この紆余曲説した人生が、牧師となる私にとって、何一つ無駄にはなっていないことを知った。陸軍経理学校でたたき込まれたリーダーとしての姿勢は、今でも役に立っている。そこで学んだ法律知識も役に立っている。理工学部時代に身に着けた論理的思考法も大いに役立っている。私が一番にが手とした文科系の学びは、強制的にそれを学ばせられることによって、牧師としての基礎的知識として役に立っている。にが手の語学も、どうやら今では何とかこなしていかれる。神のなさることは何一つ無駄になることはない。