2007年10月20日土曜日

本当のキリスト教 3/3

キリストを信じる時、私たちは生れ変る。神が私たちを新しい人生に入れてくださる。この生れ変るということは、聖人君子になるということではない。また、罪が全然ない完璧な人間になるということでもない。神の子として生れ変ったばかりの人、まだ生れたばかりの赤ちゃんなのである。これから成長していかなければならないのである。それは、私たちの心の中に新しい命の種が植え付けられたものなのである。だから、とにかく新しい人生のスタートをしたわけである。

この生れ変りを経験した人が、洗礼を受け、教会の一員となるのである。本来、教会とは、この世から救い出された信者によって構成されるものだからである。この教会には二つの面があって、一つは目に見えない霊的普遍的な面で、もう一つは、目に見える制度的な面である。ちょうど人間にも、目に見える肉体と目に見えない霊とがあるのと同じである。

教会にも、目に見えない面と目に見える面がある。目に見えない霊的普遍的性格の教会に加わるためには、キリストと結び付けられ、生れ変るという経験が必要だが、これをキリストと合うバプテスマという(ローマ6:3-5)。これは、聖霊によってなされるので、聖霊によるバプテスマとも呼ばれる(1コリント12:13)。これが教会に加えられるための重要条件である。

この実質条件は目に見えない霊的普遍的教会に加えられる時のことで、目に見えない霊的普遍的教会と目に見える制度的教会とは一つなのだから、この実質条件にかなった人、つまり聖霊によるバプテスマによってキリストと結び合わされ、生れ変った人が、水によるバプテスマによって、目に見える制度的教会に加えられるということになる。

本当のキリスト教というのは、教会のこの二つの面の位置付けを正しくし、このどちらもいいかげんにはしない。聖霊によるバプテスマである生れ変りを経験していない人に水のバプテスマ(洗礼)を授けたり、また、目に見える制度的教会を否定したりすることは、本当のキリスト教ではない。

キリストはもう一度この世に来られる。このキリストの再臨がいつであるかは分らないが、必ず来られる。その時、この世界は終りになり、イエス・キリストを信じている人は皆天国に入れられるために復活し、霊的体が与えられ、永遠に神と共にいることになる。