
死、この不気味なものに対する恐怖は、成長していくにつれて薄れていくどころか、いつも私の心の片隅を占領していた。何をやっても、いつもその最後が見えてしまうつまらなさを、よく味わったものである。たとえば、お正月などにトランプや何かをして、みんなで遊ぼうということになっても、その終わった後のむなしいばかりの倦怠感を思うと、やる気が起らないのだ。そして、そうしたすべてのものの上に、私は目ざとく死のかげを見て取っていた。死が長くそのかげを投げ掛けているのに、どうして楽しんだりすることができようか。人生におけるこの不気味なものを解決しない限り、人生そのものを楽しむことはできなかった。死をもってすべてが終わってしまうと考えただけでも、すべてはむなしいもののように思われた。そして、私の小さな頭で到達できるところと言えば、たかだかそのあたりまでにしかすぎなかった。
このように死を恐れた私でも、あの第二次世界大戦が激しさを増し、みんなが戦争に加わらなければならなくなると、自分だけが安全地帯に立っていることは許されないという気持になった。そして旧制中学を出ると、陸軍経理学校へ行った。そこは現役の将校を養成する学校なので、士官候補生として、日夜激しい訓練を受けた。