2007年11月17日土曜日

キリスト教を信じることの利点 4/6

4. 人を恐れなくなる

キリスト教を信じるまでは、私たちは人の言うことが気になって仕方がなかった。人の口や人の目を恐れた生活は、無力な生活である。とくに日本人は、ほかの人がどう思うかということを気にする国民である。ほかの人のうわさやほかの人の評価が気になるのである。だから、多くの人はこのような考え方をする。「キリスト教が良いことは良く分かっています。しかし、ほかの人が教会へ行かないのに、自分だけが行くのであれば、ほかの人からどう思われるかが心配で行けません。」ほかの人がどう考えようと、そんなことは全く問題ではないと考える日本人には、ほとんどお目に掛らないというのが偽りのない事実である。ことほどさように、日本人にとっては、ほかの人がどう考えるのかということが重要なことなのである。

どうして日本人はほかの人が自分をどう思うかということが気に掛るのかというと、島国であるということと、一度も敵の侵入によって征服されたことがないため、和を持って尊しとする考え方が生まれ、ほかの人に合わせてものを考えるということが起ってきた。だから、日本における制裁は、いつも村八分という形を取る。共同体からはみ出されたら生きていけないという考え方が形成されていったわけである。だから、ほかの人のことがいつも気に掛かって仕方がないという考え方が生まれていったわけである。

しかし、神からしっかりとした確信が与えられると、人を恐れなくなるから、ほかの人の言うことなど少しも気にならなくなる。

ほかの人の言うことが気にならなくなるというのは、傲岸不遜になることとは違う。自分の確信というものが与えられるために、人がどのように思おうと、人がどのように言おうと、人の思惑や、人の反対や、人の評価などが全く問題でなくなるのである。ただ神からの評価によって生きることができるようになるのである。

人のうわさや人の目を気にしている生活は、いつも人を見ておびえていなければならないが、神だけを見上げている生活においては、比較の世界から脱して、絶対者である神の見地からすべてを見ていこうとするわけだから、いつも心に余裕があって、平安と確信に満ちていることができる。