2008年1月15日火曜日

クリスチャンになってよかった 4/10

私がクリスチャンになってすぐなくなったのは、死に対する恐れである。人に対する恐れも心配事も、死に対する恐れが解決すれば、すべてなくなってしまうものである。死はすべてのものの中で最大の恐れだからである。それがなくなったということによって、私の人生は全く変ったのである。死に対する恐れがなくなったら、私はそれまでの消極的な人間から積極的な人間に変った。死によって縛られていたものから解放されたのである。

どんなに楽しいことをやっていても、死んでしまえばすべてはおしまいではないかと考えると、それもむなしかった。どんなに立派な業績をあげたとしても、死んでしまえばそれまでのことであると考えると、それもむなしかった。

しかし、死に対する恐れがなくなると、どんなものにも積極的にかかわっていくことができるようになった。クリスチャンになってから私が行った教会の最初の礼拝の後で、牧師先生が教会学校の教師が足りないので、だれか教師になってくれる人はいないかと言われた時、以前の自分であったら、だれか適当な人がいるはずだし、自分なんかはふさわしくないと考えていたのに、その時、私は進んで、「私でよければやります」と申し出でいたのに、自分でも驚いたくらいである。

それだけではなく、終戦直後の大学は、戦時中の空襲でいくつもの建物が壊れてしまっていて教室不足のため、新学期から日曜授業を始めることになるという発表を聞いた時、それに対する反対運動を起したり、それが駄目になると、大学内で日曜日に礼拝をするために、「キリスト者学生会」という団体を作ったりするように私は変身した。そうさせてくださったのは、聖霊の神であった。

私が1946年11月30日の晩、主イエス・キリストが私の罪を背負って、十字架上で身代りに死んでくださったことを信じた時、私の心からは罪責感がなくなると共に、死に対する恐れもなくなっていた。そして、私の心は満たされ、もう天国に入ったのではないかというような思いを抱いた。

すべてのクリスチャンが私のような劇的な回心を経験をするとは限らない。たとい劇的な回心であろうと、そうでなかろうと、本当のクリスチャンになれば、すべては変るのである。
「だれでもキリストを信じるなら、その人の心は全く新しく変えられる。もうそれまでと同じ人生では なく、全く新しい人生が始まったのである。」(2コリント5:17)