2008年9月7日日曜日

教育とは何か

人間の中心は、何と言っても人格なのだから、教育とは人格形成ということにほかならないだろう。ところで、人間の人格は、知性と情操と意思という三つの面を持っているから、これらのものの健全な形成ということになる。つまり、知性だけに偏った教育は、実は教育とは言えないということになる。これら三つのバランスをもった教育が重要なのである。

それでは、一人の人が人格を形成していく場合、どういうものによってかということを考えてみると、私は三つのものを挙げることができるように思う。第一は遺伝である。だれでも生れながらにして持っている性格というものがある。生まれた子供は、顔形だけでなく、性格までも親に似ていることがよくあるが、それは遺伝なのである。

しかし、遺伝だけですべてが決ってしまうわけではない。第二の要素としては、その子が育っていく生活環境が影響を及ぼすのである。有名な「孟母三遷の教え」は、孟子のお母さんが、子供の孟子の教育のことを考え、三回引越しをしたという話なのだが、生活環境は人格形成に大きな影響を与えることは確かである。

この二つの要素以外に、本人の反応というものがある。これは、いろいろな事態に対して取る本人の態度と言ってもよい。乳幼児の場合には、はっきりとした反応を示すことはできないが、少年期に入っていくと、自覚的態度を取っていく。この反応を好ましいものにするのが、実は教育の働きであって、教育の課題と可能性の問題がここに残されていると言ってよいだろう。

たとえば、大酒飲みの父親と、その父親をいつもののしってばかりいる母親との間に育った子供が、いつも悪人になるとは限らないという例がいくらもある。そこには、その子供に良い影響を与えた親戚のおじさん、おばさん、あるいは近所のお兄さん、お姉さん、学校の先生などがいたのだ。そういう人の好ましい影響が、あまり好ましくない環境にもかかわらず、良い反応をもたらしたのだと言ってよいだろう。汚い泥沼の中にも、美しい蓮の花を、神は咲かせることがおできになるのである。

この人格形成を教育の中心と考えるとしたら、人格形成には、重要な時期があるということを知らなければならないと思う。まずそれは、生まれて最初の四年間である。その間には、離乳期とかエディプス期と呼ばれる時期がある。離乳期にきっぱり離乳させないと、決断力の弱い性格が出来上がってしまう。エディプス期というのは、父親と母親と赤ん坊の三角関係の時期のことである。赤ん坊は、生まれるとそのまま母親との固い絆で結ばれていて、そこには一体感がある。ところで、そこへもう一人の人物、つまり父親が現われてくると、母親は自分を愛してくれており、また父親のことも愛しているらしい。そして父親も、自分と同時に母親も愛しているらしいという感じを、赤ん坊ながら抱くのだ。この三角関係を乗り越えていくためには力が必要で、その力は母親との間に堅く結ばれた絆なのである。

だから、もしも母親との間がこの堅い絆で結ばれていない場合には、このエディプス期を乗り越えることができず、いつまで経っても不安定な性格、人を信頼することのできない性格になってしまうことが多いのだ。情緒不安定などもこの部類に入る。そのことを考えると、赤ん坊が生まれてからの四年間は、母親は人任せにせず、自分が自分の子供を育てることが、どんなに大きな良い影響を与えるかが分ると思う。

もう一つの重要な時期は、思春期である。これは、大体、中学生、高校生、大学生のころである。このころ一番重要視しなければならないことは、はちきれんばかりのエネルギーを建設的な方面に向けてやることである。その点、スポーツなどは良いと思う。陸上競技のように一人でするスポーツでも構わないが、何と言ってもチームでするスポーツの方が良いと思う。エネルギーを建設的な方面に向けることだけを考えれば、どんなスポーツでも同じだが、友情を養い、連帯責任を自覚させるためには、チームでプレイをするスポーツに勝るものはない。たとい自分がうまくやっても、ほかの人が失敗すれば、自分たちのチームは負けてしまうのだ。将来、社会人になってこの連帯責任の理屈が分らず、社会の落後者になっていく人が少なからずいることを知る時、このようなスポーツを通してそれを身につけていくことは賢いことだと思う。

水蒸気がものすごい力を持っていることはだれでもよく知っていると思うが、それを建設的な方面に向ければ、蒸気機関車となって十何両もの車両を動かすことができるが、そうでない時は、破壊的な力となることもある。ちょうどそれと同じで、思春期の子供たちは、エネルギーが余っている。これを勉強だけに向けようとしても、なかなかうまくいかない。うっかりすると、ノイローゼになったり、自殺したりすることもないとは言えない。そのエネルギーをスポーツに向ければ、最も健全に活用できるのである。