2008年12月7日日曜日

愛は人を動かす

1900年代に、山口県の秋吉台で大理石の発掘をしていた本間俊平という人がいた。初めのうちはキリスト教を妨害していたが、後にクリスチャンとなり、秋吉台で刑余者と生活を共にしながら、彼らを導いていた。彼のもとには沢山の前科者がおり、刑を終えると、人の紹介によって、ここへ集まって来ていた。

その中に、相川勝治という至って乱暴な男がいた。彼は元警察官で、警部補にまでなった人だが、酒のために退職し、その後十八か所で強盗を働き、あちこちで悪事を重ねた後、ついに捕えられ、十六年九か月の刑に処せられた。彼は元警察官だから、法律はよく知っているし、強情な上、短気で、入獄中もわがままで通し、乱暴を働き、そのため、看守長に始末書を書かせるほどひどいことをするものだから、刑務所でも持て余すほどだった。ところが、最後の三年余りは、聖書を読むようになり、出所後は教誨師の紹介で、妻子ともに秋吉台にやってくることになった。

本間俊平は、彼を七、八人の青年たちの小頭として、大理石の切り出しをさせた。ところが、相川は予想以上のわがまま者で、ほとほと困ってしまったほどだった。ある日のこと、本間は思い余ったあげく、意を決してこよ子夫人を呼んで、こう言った。
「お前は、今日まで私の妻としていろいろ尽してくれたが、先ごろ来たあの男は、お前も知っての通りの人間で、あの男のためにお前か俺のどちらかが、生首を飛ばされるようなことが起るかもしれない。今さら改まってお前の決心を聞くまでもないが、もしもそのようなことが起った時、音をあげるようだと困るが、どうかね。その時、お前の口からキリスト様に仕える者らしからぬ言葉が出たら、神様に仕える者として大きな恥だと思うが、どうかね。」

すると、夫人は、ご自分の堅い決意をこのように述べられた。
「私は、何一つの取り柄のない者でございますが、イエス様の十字架だけは心から信じております。もしもそのようなことを私の身に引き受けますことが神様の御心でございますなら、私は喜んでお引き受けいたします。」

ところで、相川の下で働いている一人の青年が、強情という点では彼よりも上手で、彼の言うことに従わないために、相川はこよ子夫人に、「あいつを追い出してください」と何度も訴えた。ところが、夫人はどうしても聞き入れないので、あるとき、また同じことを申し出て、夫人に迫った。しかし、夫人はどうしてもそれを聞き入れず、このように言うのである。
「ここに来てもらっている人たちは、自分で勝手に出て行くか、あるいはここにいる必要がなくなり、善くなって帰っていただくことはありますが、悪いからとか、強情だからという理由で、こちらから出て行ってもらうわけにはいきません。」

このように、キッパリ断られたので、相川は怒り出し、
「これだけ言っても聞いてくれないのなら、あなたを殺して、おれも死ぬ」

と怒鳴りながら、隠し持っていた石切りのみを取り出して、夫人の左腕に斬りつけた。その時、夫人は少しも騒がず、血潮のほとばしる左腕を右手で押さえながら、
「神様。どうか相川を赦してやってください」

と祈るばかりであった。相川はただブルブルと震えているところを、物音を聞きつけて来た人々に取り押さえられてしまった。

そうこうしているところに、こよ子の夫、本間俊平が帰って来、この有様を見ると、相川の前に手を付いて、こう言った。
「お前が殺したいほど憎かったのは、このおれだろう。相川、どうか赦してくれ。さあ、家内を早く医者の所へ連れて行ってくれ。」

この時以来、相川は心から悔い改め、真人間となり、後に本間俊平の下を去り、自分も同じように刑余者の面倒を見るようになった。本間俊平夫妻のいのちがけの愛が、この箸にも棒にもかからなかった男、相川勝治を変えたのである。

ちなみに、本間俊平は結婚をする時、四つの条件を出したと言われている。第一は、家柄などを問題にしないこと。第二は、学歴のない人であること。第三に、容貌などどうでもよいこと。しかし第四に、愛の人であること。そして、この四つ目の条件にかなった女性と、二十五歳の時に結婚した。それが、こよ子夫人だったのである。

だから、家柄や学歴などどうでもよい。愛さえあれば、驚くべきことをすることができる。神がその人を動かして、驚くべきことをさせてくださるのである。箸にも棒にもかからない人を変えてくださることは、今も同様である。