2009年1月5日月曜日

霊的世界の事情

日本人の霊的貧困さについては、挙げればきりがないほどである。迷信じみたことが平気で行なわれているかと思うと、占いに自分の運命を託す人が後を絶たない。不安だという面が一方にはあって、もう一方には何かに頼りたいという気持がある。その時、どうして占いなどに行くのかと言うと、霊的に貧困で、幼稚だからである。

いくら金利が安い時代だからと言って、月一割の金利を払ってくれるという所があると言ったら、それに飛び付く人がいるだろうか。まともな人なら、その信頼性を疑うだろう。なけなしの一千万円を預け、一か月目に行ったら金利として百万円をもらい、二ヶ月に行ったら、また百万円をもらい、このまま行けば、一年後には元利合計が倍以上になっていると思い、三か月に行った所が、もうそこには店はなく、近所隣りの人に聞いてもだれも分らないと言う。そんな所に大事なお金を預けないだろう。預けるとしたら、大馬鹿者である。

ところが、自分の大事な人生を占いなんかによって分ろうとするのは、この大馬鹿者と同じではないだろうか。預ける相手が本当に信用できるものなのかどうかを確かめることが何よりも大切なのである。

ところが、日本人はどのような神を信じるのか、その対象をほとんど問題にしない。「鰯の頭も信心から」などと言う。だから、霊的に貧困であり、幼稚だと言うのである。大切なのは、信じるに足る神なのかどうかということなのである。

ところで、霊的世界に無知な日本人は、占いや、まじないなどにまどわされ、心霊術や霊媒に対して何の警戒心もない。こういうものは、悪霊によるものであって、このようなものに一度でも関係すると悪霊につかれてしまうことを知らない。悪霊につかれた場合、いくら祈ってもだめだ。悪霊の追い出しをする以外にない。イエス・キリストのお名前の権威によってする時に、はじめて悪霊は出て行く。イエス・キリストのお名前の権威というものが、いかに力強いものであるかということが分る。

どういう人が悪霊につかれやすいかと言うと、悪霊の好む餌を持っている人である。それは、占いやまじないなど異教に関係したものや、罪である。餌がなければ、ねずみやごきぶりが出て来ないのと同様だ。そういう悪霊の好む餌を持っていたら、悪霊がその人の中に入り込みやすい。だから、それらのものを一掃しておく必要がある。