2007年8月7日火曜日

実存的問題-苦しみ 1/4

だれでも皆何らかの悩みを持っている。しかし、その中でも深刻な悩みと、そうでないものとがある。その深刻な悩みとは、実はほかの人によっては決して代わってもらうことの出来ないものである。それだけでなく、金持であろうが貧乏人であろうが持つ悩みであり、どの国の人であろが持つ悩みである。それは、人間として生きていく上で味わう悩みであって、それを実存的問題と言う。宗教はこの実存的問題を扱うのであって、損をするとか得をするなどと言っているのは、宗教の取り扱う分野としては、全く枝葉の事柄にすぎないのである。

それでは、この実存的問題とは、具体的にどういう問題であるかと言うと、苦しみ、エゴイズム、死である。どんなに愛する人が苦しんでいたとしても、それと全く同じ苦しみを味わうことはできないし、死についても全く同じことが言える。死が大きな力を持って迫ってくるのは、ほかのだれかの死の時にではなく、自分の死においてなのである。

私たちがこの世において生きていこうとする時、そこにはいろいろな苦しみがある。それは、肉体的なものであろうと、自分の境遇に関することであろうと、その他どのようなものであろうと、すべて精神的なものである。

たとえば、重い病気にかかったような場合、治療や手術などのための痛みや苦しみもあるけれど、そこでの一番の悩みは、この病気にかかったことによって、これからの自分の人生はどうなっていくのだろかという不安や、こうしている間にも多くの同僚たちは出世してしまうのではないかというあせりや、自分がこのまま一生涯闘病生活をしなければならなくなったとしたらどうしようかという悲しみなど、すべてそれは心の悩みであり、精神的なものなのである。

ある人は、ある時になって、自分の出生の秘密知って、大きな精神的ショックを受けた。またある人は、肉体のハンディキャップを持って生まれてきたがために、人知れず悩まなければならないということもある。また、死に対する恐れのために、どんなに楽しい時も、決して手放しで楽しめない人もいるだろう。また、冷たい家庭の中で、親、兄弟に対する憎しみを抱いている人もいるだろう。こうしたことのほかにも、この世に生きている人には、いろいろな悩み、苦しみがある。人生の意味や目的が分らなければ、生きることに苦痛を感じるのは当たり前のことだろう。