2007年9月5日水曜日

実存的問題-エゴイズム 1/4

エゴイズムとエゴティズムとは違う。この両者を同じものだと思っている人が案外多い。エゴイズムというのは利己主義で、エゴティズムというのは自己中心主義である。この両者がどのように違うのかということについて少しばかり説明する必要があろう。

たとえば、人間はだれでも自分というものを持っている。自分がなくなったら、もはや生きていくことはできない。これは、いわば自己中心ということである。私たちがそう簡単に死ねないのも、この自分というものがあるからだ。また主体性ということは、このことに関係のあることで、自分というものがしっかりと確立していることを指している。だから、自己中心そのものを悪であると考えるのは早計であって、悪いのは、自分さえよければそれでよいと考えるエゴイズムなのである。

人間はだれでも自分の幸福を求める。そのこと自体決して悪なのではなく、このような幸福追求は、自己中心ということから起って来る。ところが、自分さえ幸せであれば、たといほかの人が不幸であっても構わないと考えたり、ほかの人の不幸の上に自分の幸福を築き上げようとするに至っては、これは明らかに悪であって、それこそエゴイズムの正体であると言ってよいだろう。

近代における人間性の探求は、人間をほかの人から孤立した人間として探求してきたところにある。自分をほかの人から切り離して、自分を自分たらしめる「自我」という抽象的な原理をそこに見出し、その自我を無限に追求し、発展していくところに自分の幸福があるというふうに考えてきた。このような考え方は、結局のところ「自我」を絶対化してしまうことになり、ほかの人との間に心と心が通い合う交わりを生み出すことができず、孤独のどん底に自分を追いやる結果になってしまった。近代における自我の自覚から始まった自我追求が、今日一人一人に孤独を与える結果に終ったことは自然のことであると思う。 

自己中心がやがて破滅してしまうのはなぜかと言うと、自己中心は、いつもそれにエゴイズムが深くからまっているからなのである。もちろん、自我を絶対化することには決して問題なしとはしないが、それでも自己中心それ自体が全く否定される理由はない。しかし、エゴイズムというものとは別個に、自己中心が存在することができるのだろうか。ここに私たちの現実の問題があるわけである。