禁欲主義とは、一種の禁止主義である。禁止主義に解決はない。解決はいつも禁止という消極的なものにあるのではなく、もっと積極的なものにあるはずだからである。キリスト教においては、「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」という禁止条項がクリスチャンの規範なのではなく、イエス・キリストご自身を規範として行動する。
イエス・キリストを信じることによる、積極的な解決である。ここに、禁欲主義とは根本的に違う点がある。禁欲主義の場合には、いつもしてはいけないことばかりを考えて、行動は消極的になってしまうが、クリスチャンの場合には、自由が与えられているから、積極的に行動することができる。
禁欲主義が本当の解決にならないことは、聖書自体が教えている。
「あなたがたは、キリストと共に死んで、この世の幼稚な教えから離れたのに、どうして、まだこの世の人々と同じように、『・・・してはいけない』というような禁欲主義に縛られるのか。そんなものは、やってみればそれでおしまいで、神の福音にあずかることのできない、人の作った戒めや教えに過ぎない。そういったものは、独り善がりの礼拝と、自己卑下と、肉体の苦行という点では、一見賢いもののように見えるが、生まれながらの肉欲に対しては、何の役にも立ちはしない。」(コロサイ2:20-23)
これほどはっきり禁欲主義を否定している箇所もないだろう。それは、人間の教えなのだ。だから、聖書の教えているキリスト教とは全く相いれないものである。禁欲主義では決して救われることはない。