2007年9月15日土曜日

クリスチャンとは

クリスチャンと言うと、すぐ「酒を飲まない人」、「タバコを吸わない人」と考える人がいる。また「人格的に立派な人」、「右の頬を打たれたら、必ず左の頬を出す人」など、様々のイメージがクリスチャンについて描かれる。これらは、クリスチャンについての断片的な知識に基づいたイメージではあっても、本質的なことを言い当てているわけではない。

クリスチャンであることを決定する時、その人がどういうことをしているかということよりも、その人がどういう人であるかという事実の方が重要である。人格的に立派であると言っても、実は人格的に立派に見える行動をしているということであって、決して内面的な事実を指しているわけではない。

そこで、クリスチャンとは、どういう内面的な事実を持っている人であるかということについて考えてみよう。聖書では、キリストと共に古い人に死んで、キリストと共に新しい人に生きた人であると教えている(コロサイ2:20)。それでは、キリストと共に古い人に死んで、キリストと共に新しい人に生きるとはどういうことなのだろうか。クリスチャンというのは、信仰によってキリストに結び付けられた人のことである。キリストは私たちの罪を背負って十字架上で死なれた。私たちが信仰によってキリストに結び付けられると、私たちの古い人は、キリストと共に十字架上で死んでしまった。また、キリストは死人の中から復活されたから、私たちが信仰によってキリストに結び付けられると、キリストと共に新しい命が与えられる。

この「古い人」とか「新しい人」というのを少し説明しておこう。聖書が「古い人」と言っている場合、それは、生まれながらの古い人間性のことで、自己中心的なエゴイスムがその特徴である。すべての人は、生まれながらにしてこの「古い人」に生きている。これがすべての問題のもとになる。それに対して、キリストは死人の中から復活された。だから、キリストに結び付けられた私たちは、キリストと共に「新しい命」に生きることができる。だから、クリスチャンとは、皆この新しい人として生れ変った人のことである。

水のバプテスマを受けた人がクリスチャンなのではなく、新生した人がクリスチャンなのである。その人が水のバプテスマを受けることによって、個々の教会の一員になるのである。