2008年3月1日土曜日

人間はなぜ幸福でないのか4 - 心の中に恐れ、不安、憎しみ、ねたみがあるから(1)

私たちの心の中に何かに対する恐れや不安があると、幸福ではない。心理学者は、恐れと不安の使い分けをしている。対象のはっきりしているものに対する場合は恐れと言い、対象のはっきりしていないものに対する場合は不安と言う。だから、死に対しては恐れであり、将来に対しては不安なのである。また自分の身体がよくないことから、これから先どうなって行くのかが分らないことについての不安もあるかもしれない。

人間は、幸福であるときには、生命の流れがスムーズだ。その時、人間は幸福感を味わう。それにひきかえ、過去の出来事に縛られていて、そのことで心に自由がなくなると、人間は不自由になり、幸福でなくなってしまう。

また、私たちの心の中に、だれかに対して憎しみや恨みがあると、やはり幸福ではない。いつでもそれが心に引っ掛っているからだ。「あの人が、あん畜生が」という思いがあれば、私たちは幸福であることはできないに決まっている。

もし、私たちがだれかを憎んでいるとしよう。そしてその原因はその相手の人にあったとしよう。けれども、今、私たちが不幸であるのは、その原因が不幸を作っているのではなく、私たちがその人を憎み、恨んでいるからであり、そのために不幸であり続けなければならないのである。

今から48年前のことだが、私は日本人がアジアの人々に行ってきた残虐行為について謝罪するためにフィリピンへ行ったことがある。その時、ギマラスという小さな島へ行ったことがあった。そこで一人の少年に会った。少年は父親を日本兵によって殺されたということであった。だから、私に襲い掛ってきた。私はその少年に心からの謝罪をした。

その翌朝のことであった。私がその島を発とうとする時、彼が私の所へ飛んで来て、こう言うのであった。
「僕は一晩中祈っていたんだけれど、僕は親父を殺した日本人を赦すことができるようになったんです。だって、僕のようなものをもイエス様は赦してくださったんですから。」

その時、見るともなしに見た彼のほほには、大粒の涙が光っていた。それがちょうど昇って来た朝日にはえて、美しく輝いていた。私はあのときの彼の顔を今でも忘れることができない。