2008年3月30日日曜日

人間はなぜ幸福でないのか8 - 罪意識を持っているから(1)

私たちの心の中に罪意識があると、私たちは本当に幸福であることはできない。カナダの精神医学者ペンフィールドは、大脳を手術している患者に対して、ある実験をした。そして、「人間の大脳皮質の中には、過去の一切の経験が、ちょうどテープ・レコーダーに録音されているように、正確に記録されている。もしもある個所に刺激を与えると、その時の感情をそのまま伴って、それを思い出すようになる」と言っている。

もしも私たちが何かのはずみで、その大脳皮質に刺激が加えられるようになると、ちょうど昔こわれたレコードが同じ箇所を繰り返し鳴らしたように、思い出したくないその出来事が、その時の感情を伴って思い浮かんでくるようになるというのである。本当に恐ろしいことである。そのために、ついに生きていくことができなくなって、自殺する人もいるのである。

私たちは普通、罪意識ということを考える時に、どういうふうにして罪意識を持つのだろうか。いろいろな場合があると思うけれども、普通私たちがなんでもなく過している時には、自分には何らかの値打ちがあるとか、あるいはだれかが自分に対して期待している期待に、ある役割を果している、というようなひそかな自信を持って生きているものである。だから、生きていけるわけである。

自分の家族が愛してくれている、だから、自分は愛される値打があるのだ、というようなひそかな自信を持っている。ところが、何かのはずみでその自信を失ってしまった時、たとえば、病気になった時とか、失業してしまった時とか、あるいは何か失敗をしてしまったというような時、家族のだれも今までのように自分を見てくれない、職場でも学校でも今までのように自分を見てくれない。それで、今まで持っていた自信がガタガタと音を立ててくずれていって、一人ぼっちになってしまう、という孤独の中に取り残された時、私たちは自分のうちにあった生存目標を失い、ただいたずらに過去を顧みて、悔恨の念に埋もれていくものだ。

その時、今まで気付かなかった、自分のありのままの姿に気付く。罪の問題にこうして私たちはぶつかっていく。自分がこんなに醜い者であったのかという自分の本当の姿をそこに見出す時、私たちは自分の前に自分が立つ瀬がなくなってしまうのだ。