2007年12月15日土曜日

人間として生きる1 - 何が一番大切なことなのか

私たちの一生は長いようで、それほど長くはない。子供のころから青年時代にかけては、勉強をしたものだ。それは、将来一人前の人間となるための準備期間であるとも言える。しかし、わが国における勉強というのは、上級学校に入るための受験勉強でしかない。そういうところにおいては、ほかの人は皆敵に見えてきて、本当の友情の育つよすがもない。そして、社会に出ても、そこは出世競争社会であって、ほかの人がやはり敵としか思えない現実がある。

そういう人生を送ってきた者が、一体人間として何が本当に大切なのかということを考える余裕は全くないと言ってよいだろう。そんなことを考えていたら、人から取り残されて、敗残者となる以外にはないからだ。人間と人間が心において結ばれるということはまずないと言ってよい。

それは、結婚においても同じことが言える。結婚したてのころは、仕事も早く終えて、家に早く帰ってくるかもしれない。しかし、仕事に追われる毎日では、仕事優先の生活をし、夫婦の間に本当に心の通い合う会話はなくなっていく。

仕事も確かに大切だろう。しかし、本当に人間として生きてきたのかどうか問われるような生き方に少しも疑問を感じないような生き方をしていたら、後で必ずそのツケが回ってくるものだ。今日、熟年離婚が増えているのを他人事と思わない方がよい。多くの女性が「定年退職後、この人と顔を付き合わせて生きていくのかと思うと、ぞっとする」と言うのだ。仕事だけに打ち込み、夫婦の間に全くと言ってよいほどのコミュニケーションのなさに気付かずに来たことを、その時になって後悔しても、もう遅いのではないか。

しかし、人生に遅すぎるということはない。人間として生きるという場合、何が一番大切なことなのかということを考えることは必要なことだと思う。心を開いて語り合うことのできる人を一人も持っていないということほど寂しいことはない。本当の友をどこにも持っていないという人は、人間として毎日生活はしていても、本当に人間として生きてはいない。欠陥人間であり、太宰治が言った「人間失格」とはこのことではないだろうか。