神学校を卒業した時、私の前には三つの可能性があった。伝統的な古い教会の副牧師という道。また、戦後欧米からあまたの宣教団体が来ていて、その日本人リーダーを求めていたところから、彼らがリクルートに来ていた。その牧師という道。そしてもう一つは、自主独立の開拓伝道という道である。私は迷うことなく第三の道を選んだ。だれに気兼ねすることもなく、ただ神にだけ責任を負えばよい自由闊達な道である。しかし、初めの二つは、一応生活は保証されていた。ところが、第三の道は、人間的な保証は全くない。だから、私は神の約束の御言葉にすべてを賭けることにした。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(生活に必要なすべてもの)は添えて与えられる。」(マタイ6:33)
お金がなかった私は、この御言葉を信じ、東京の高田馬場で路傍伝道によって開拓伝道を始めた。1953年3月15日のことであった。こうした一見無謀とも思えるやり方で開拓伝道をしたが、神は最初の日の路傍伝道でイエス・キリストを信じる人を起してくださり、次々とクリスチャンになる人が与えられた。そして、私の両親も兄も家族の者が皆クリスチャンになったのである。神は本当に今も生きておられる。(参照、「生きて働かれる神」(羊群社)、「今も生きておられる神」(プレイズ出版))