2007年12月26日水曜日

クリスチャンになってよかった 1/10

私がクリスチャンになったのは、19歳の時で、第二次世界大戦が終わった翌年のことであった。我が家における最初のクリスチャンであった。家族は皆ノンクリスチャンだったから、家族からの祝福もなかった代り、それほどひどい反対や迫害もなかった。やがて私が信仰に熱心になるに従い、家族の者をキリスト教集会に誘ったのだが、すぐクリスチャンになったのは妹だけで、後の者たちはすぐクリスチャンにはならなかった。それから、私はこのキリスト教こそ自分の人生を賭けるに値するものであることを確信するようになり、建築家を目指して大学で勉強していたところから、牧師を目指すため、文学部に転部するのだが、そのころになると、両親は私の将来を心配して、私が牧師になることを反対するようになった。けれども、私は両親の反対を押し切って、文学部に進み、大学を終えると神学校に進んだ。正確に言うと、大学と神学校の両方を同時にやったのだ。その無理がたたって、病気になってしまった。だから、大学の卒業式には出席することができなかった。

神学校を卒業した時、私の前には三つの可能性があった。伝統的な古い教会の副牧師という道。また、戦後欧米からあまたの宣教団体が来ていて、その日本人リーダーを求めていたところから、彼らがリクルートに来ていた。その牧師という道。そしてもう一つは、自主独立の開拓伝道という道である。私は迷うことなく第三の道を選んだ。だれに気兼ねすることもなく、ただ神にだけ責任を負えばよい自由闊達な道である。しかし、初めの二つは、一応生活は保証されていた。ところが、第三の道は、人間的な保証は全くない。だから、私は神の約束の御言葉にすべてを賭けることにした。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(生活に必要なすべてもの)は添えて与えられる。」(マタイ6:33)

お金がなかった私は、この御言葉を信じ、東京の高田馬場で路傍伝道によって開拓伝道を始めた。1953年3月15日のことであった。こうした一見無謀とも思えるやり方で開拓伝道をしたが、神は最初の日の路傍伝道でイエス・キリストを信じる人を起してくださり、次々とクリスチャンになる人が与えられた。そして、私の両親も兄も家族の者が皆クリスチャンになったのである。神は本当に今も生きておられる。(参照、「生きて働かれる神」(羊群社)、「今も生きておられる神」(プレイズ出版))