2007年12月1日土曜日

キリスト教を信じることの利点 6/6

6. 生きがいが与えられる

キリスト教を信じることによって、人生の目的、目標が分るようになると、当然何のために生きているのかが分るわけだから、生きがいを持つことができるようになる。どんな人でも、人生の意味や目的のない生き方をしていたのでは、人生に耐えることができない。

それでは、どうしてキリスト教を信じると生きがいが与えられるのだろうか。神が私たちの人生を計画し、私たちをこの世に存在させておられるわけだから、私たちの人生の意味や目的を持っておられるのは、神ご自身のはずである。そういうわけで、神を知り、神からそのことを教えていただければ、当然生きがいが与えられるわけである。

私たちは、この世界の造り主であられる神によって造られた存在なのだから、その造り主であられる神のみもとに立ち返る時に、初めて生きがいを与えられるわけである。神から離れていては、何のために生きているのか分らないのは当然のことである。

このように、キリスト教を信じる時、様々の良いことがある。それは、この世の生を終えてからだけではなく、今、私たちがこの世に生きている時に与えられるものである。しかし、いわゆる現世的ご利益といった低い次元のものではない。現世的ご利益とは、結局のところ、人間の欲望を満足させるものに他ならないのだが、キリスト教を信じる時に与えられる利点は、欲望の満足をもって終るのではなく、もっと高い次元に生きる人間の心に満足を与えるものである。

たとえば、対人関係において、私たちはいつも誰かに対して好意を持つか、それとも憎しみを持つかということが迫られてくることが多い。その時、憎しみをいつまでも抱き続けていくとしたら、自分の一生はそのことに縛られていて、自由がないだろう。それを解決してはじめて、開放感を味わうことができる。

「あなたの敵を愛しなさい」を実践できるようになるためにも、主イエス・キリストのみもとに行って、自分が今持っている重荷を降ろすためにも、キリスト教を信じることはその極意を行うことができるようになることである。ストレスから解放されるためにも、そのことは必要である。キリスト教を信じることの利点は、心の最も深いところにおける喜び、満足の与えられることである。