2007年6月24日日曜日

笑いの効用


ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、その著書「かけがえのない日々」の中で、こんな話を紹介している。彼が十年ほど前、医学関係の取材でアメリカへ行った時、「サタデー・レビュー」という雑誌の編集長をしていたノーマン・カズン氏が書いた「ある病気の病理学」という本を見つけたのである。この本の著者のカズン氏は、ジャーナリストとして大変有名な人物であるのだが、その彼が病理学の分野で本を書いていたのである。カズン氏は、不治の病と言われていた難病である膠原病にかかったのだ。医師からは、回復の可能性は500万分の1と告げられた。ほぼゼロに等しい数字である。

ところで、彼は薬治療法を忌避し、自分の考慮した治療法によって完治したというのである。その治療法とは「生への意欲の強化」と「笑い」、そして「ビタミンCの大量点滴」の三本柱からなっていた。その中でも「生への意欲」と「笑い」というプラスの情緒が体にプラスの作用をもたらすに違いないと考え、健全な情緒を維持して行けるプログラムを作成し、それを実践した。それは、欲求不満、不快感、ストレス、悲嘆、絶望といったマイナスの情緒は体にもマイナスの作用をもたらす。たとえば、ストレスが強くなると、ホルモンの分泌が阻止される現象が起る。このことは、すでに医学専門家によって報告されている。そうであれば、その逆も真ではないかとカズン氏は考えた。つまり、ストレスからの解放と正しい栄養摂取があれば、人間の身体は強い再生力を発揮するはずだということだ。そして彼は、その基本が「生への意欲の強化」であり「笑い」だと考えた。もっとも、カズン氏はその時点では膠原病がかなり進行していて、脊髄と関節が寝ていても痛むのに、笑ったらもっと痛くなるのではないかと心配したが、とにかくやってみようと、笑うことを受け合いのビデオテープを病院に持ち込んだ。「効果はてきめんで、十分間腹を抱えて笑うと、少なくとも二時間は痛みを感ぜずに眠れるという効き目があった。」それからは、看護師たちが入れ代わり立ち代り彼のためにユーモア小説を読んでくれることになった。この笑いっ放しの日々が症状をよい方向に向けたのである。後日カズン氏がその闘病記をアメリカの権威ある医学雑誌に発表したところ、十数か国の約二千人の医師たちから手紙が寄せられ、カズン氏考案の治療法は医学的にも指示されたということであった。

一問一答


日本人は、キリスト教について無知である人がほとんどである。いくらかキリスト教についての知識を持っている場合でも、かなり歪んだ知識で、信仰を持つことについては、かえって妨げとなることが多い。

私自身もそうだった。旧新約聖書については、余りに膨大なため、一度も読み通したことはなかった。それなのに偏見だけは持っていて、何も分からないのに、キリスト教を批判してはばからなかった。

その後、キリスト教信仰を持つようになって分ったことだが、キリスト教についての疑問は、どんな人でもごく一般に持っているもので、自分だけが抱いている特別な疑問などというようなものは、ごく僅かでしかないということであった。そこで、キリスト教に関してだれもが抱く疑問に答えることにして、「一問一答」(いのちのことば社)という書物を書いた。

全部で83問に答えを書いておいたが、おおよそ次のような疑問である。
  • 宗教がなくても人間は生きられるのではないか。
  • どんな宗教を信じても、人としての正しい生き方ができるのではないか。
  • どうしてキリスト教でなければ救われないと言えるのか。
  • 神が存在することを前提として話をするのは独断であり、非科学的ではないのか。
  • 人間は何のために生きているのか。
  • 人間は死後どうなるのか。
  • 奇跡は、現代の科学と矛盾するように思えてならないのだが。
  • 神が存在することはどうして分るのか。
  • キリストは本当に実在したのか。
  • 神はなぜ人間を、罪を犯してしまうような者として造られたのか。
  • 天国とはどんな所か。
  • 永遠のいのちとは何か。
  • 運命や宿命と、キリスト教の「神の摂理」の信仰とはどう違うのか。
  • キリスト教では、すべての人を罪人(つみびと)と言うが、それはどういうことか。
  • キリストは十字架上で、「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたが、あれは敗北の言葉か、そうではないのか。
  • なぜ二千年も前に十字架上で死んだキリストが、私たちの救いに有効なのか。

2007年6月18日月曜日

ご挨拶

私は家族の中で一番初めにクリスチャンになった。その後、父、母、兄、妹とクリスチャンになり、全家族がクリスチャンになった。そのため、キリスト教については多くの疑問を持っていた。聖書も読んだことがなかったし、賛美歌も知らなかった。そんな私だから、クリスチャンでない人々の気持ちは人一倍よく分る。

そういう人々の助けになることを願って、これから書いていこうと思っている。クリスチャンになりたいと思っている人は、今の若い人の間では七、八割いると聞く。しかし、どうしたらクリスチャンになれるのか分らないのである。キリスト教については疑問が沢山あって、その一つ一つの疑問にまず答えてもらわないと、信仰に入ることができないのだと思う。

私がクリスチャンになった時、もっと親切な手引き書があったら、もっと早くクリスチャンになったかもしれないと思った。私はキリスト教というものについての誤解を持っていた。しかし、そのような誤解は、何も私一人のものではなく、かなり共通のものがあるのではないかと思う。そういうものを取り除いてあげることができたら、おそらくもっと早くクリスチャンになることができるのではないかと思う。

キリスト教に対する誤解を解くということは、私たちクリスチャンの側からももっと積極的にしていかなければならないことだと思う。しかし、残念ながら、そのような本はほとんど見当たらない。そこで、私は少しばかり親切心を出して、そういう人々のお助けをしたいと思っている。

この中には、何冊かの本が紹介されている。その本も合わせて読んでいただけると、誤解を解くのに役立つだろうと思う。とくに著者について言及がない場合は、拙者だと思ってくださって差支えない。

このブログでは、質問に対してはお答えしないことにしている。というのは、その時間を取ることが難しいからである。将来しかるべき時に、適切に答えてくださる方が与えられたら、その時は答えようと思っているが、今は大変申し訳ないが、お答えできないことをことわりしておこう。

これをずっと見ていただければ、必ず信仰に入り、クリスチャンになることができることを期待している。そのつもりで書かせていただこうと思っている。