2009年10月24日土曜日

野の花を見よ

野の花がどのようにして育つのか、考えてみなさい。働きもしないし、自分のために服を作りもしません。...今日は咲いていても、明日は炉に投げ込まれてしまう野の草でさえ、神様はこれほど美しい装いをお与えになっておられるのですから、まして、人間であるあなたがたに、それ以上のことをしてくださらないわけがあるでしょうか。ああ、なんと小さな信仰なのか。(マタイ6:28-30)


生活問題はなかなか厳しい問題である。生きていくことは、決して生やさしいことではない。この世の中に生きている人は、皆このことをよく知っている。それだけに、生活問題・経済問題には、誰でも頭を悩まさないわけにはいかない。どうしたら食べていくだけの収入を得ることができるだろうかと悩むわけである。

しかしながら、本当はそういうことは問題というほどのものではない。野に咲いている花を見たらよい。野に咲いている花は、立派に育ち、花を咲かせているではないか。野の草一本にしたところで、実に念の入った装いをしている。あの野に育つ草や花にさえ、あのような念の入った装いをさせておられる神が、私たち人間をお忘れになるはずがない。神のことを忘れて、自分の生活のことだけを眺め、くよくよしているからこそ、心はいつでも落着きがないのである。心配事や取り越し苦労は、何の益にもならない。益にならないどころか、こんなことで気をもんでいる人は、いつでも二重の苦しみを味わっていることを知らないのである。苦しみがくる前に一度苦しみ、本当に苦しみがやってくる時にもう一度苦しむわけだから、こういうことをやっている人は、結局のところ生活疲れをしてしまうのがオチである。

それでは、どうしたらよいかと言うと、一番よい方法は、この自然界をお造りになり、支配しておられる神がおられるのだということに気が付くことである。そうすると、私たちが平面的に考えて自分の生活苦に悩んでいたところから、一段と高いところに立って、すべてのことを考えることができるようになるのである。これが信仰なのである。だから、信仰に立つ時、私たちの生活問題は何なく解決するのである。

2009年8月23日日曜日

解放の福音

ああ、なんと幸いなことだろう、自分の罪を赦され、覆い消された人々。(詩篇32篇1節)

夜、夢の中で誰かに追いかけられて、早く走ることができず、足がすくんでしまったというような恐ろしい夢を見たことはないだろうか。夢の中だけでなく、誰かがこわくて仕方がないという経験をしたことはないだろうか。ところで、こうしたこととも関係があるのだが、心の中で何かに締めつけられて苦しんだというような経験をしたことはないだろうか。つまり、誰かに隠して持っていた罪のためとか、誰にも言うことのできない心の中の秘密のために、人知れず苦しむというようなことである。

おそらく、こうしたことは、誰にでもあることではないだろうかと思う。もしもそのことを正直にしゃべってしまうと、今までの信用が台なしになってしまうとか、自分の顔が丸潰れになってしまうと思って、なかなか人に話すことができない秘密を持っているわけである。ところが、誰にも話さずに自分の心の奥深くに仕舞っておくと、どういうことになるかと言うと、自分をじわじわと苦しめてくるのだ。それでは、このことの解決はどこにあるのだろうか。

結局は、自分を苦しめている秘密であるとか、罪などが解決されない限り、決して解決することはできない。心の中に秘密の部屋がある限り、私たちの心はこの秘密の暗闇の部屋のために苦しめられ続けることになる。

それでは、どうしたら解決になるのかと言うと、この秘密の真暗闇の部屋に中に光が入らなければならない。そのためには、その秘密の部屋の扉が開かれなければならない。今までほかの人に隠していたこと、それゆえに秘密の部屋を形造っていたもろもろの秘密を真の光である神の御前にさらけ出さなければならないのだ。人の前にさらけ出す時には、かえって困難な問題を引き起すことにもなりかねないが、神の御前にさらけ出すなら、私たちの心の重荷はすっかり取れて、心の束縛から解放されるようになる。神がそれをしてくださるのだ。それをする時にも、人の助けなど必要とはしない。人の助けを求めると、かえって共依存という問題を残しかねないからである。

2009年8月9日日曜日

神が味方なら

神が私たちの味方である以上、私たちに敵対できる者などあるはずがない。(ローマ8:31)

毎日の生活が余りにあわただしく、仕事や勉強のことで忙殺されている私たちにとって、いつも人生が戦場であることを知っている。私たちは、この人生の戦場において、身を処していかなければならないのである。その時、神が私たちの味方であるかどうかということは、最も根本的な、しかも大問題なのである。

敵の頭数や財源を問題にすることほど愚かで無益なことはない。というのは、神は人数の多さや権力の有無によって味方になるかどうかを決めるのではないからだ。確実なことは、正義の側に立っておられるということである。

そういうことになると、私たちが考えてみなければならないことは、私たちの仕事や勉強の目的・動機は一体どこにあるのかということである。神なのか、それとも自分自身なのかということである。私たちは、神が自分の側におられるのかどうかということが、いつも最も大きな関心事でなければならないはずである。神が自分の側にいてくださるということは、私たちがいつも神の側に立っているということであるはずだ。神はいつも神に従う人の側に立っておられるのである。

私たちはだれでも皆、実際は小心者なのである。自分の身分や資格や才能が気になったり、自分よりもほかの人の方が優れているように見えたりして、いつも不安で仕方がないのである。けれども、そのようにほかの人と比較したりしている世界など、本当の力や安心の土台などありはしないのだ。神が私たちの側にいらっしゃるかどうかということが一番重要な点なのである。神が私たちの味方であるなら、それこそ敵しうる者など何もないのである。

だから、私たちの関心事は、神にいつも従うにはどうしたらよいかということである。神に従うとは、神の御心に従うということで示されている。だから、聖書をよく読み、ただ読みっぱなしではなく、それを実行することが大切である。御言葉に従い、御言葉に生きる時、私たちは神が私たちの側におられることを体験することができる。

2009年7月26日日曜日

知恵を求める人

ああ、なんと幸いなことだろう、
知恵を見いだし、英知を得る人。
その道は楽しく、皆、平安である。(箴言3:13-17)

多くの人は快楽を求めている。快楽というような言い方をすると、自分はそんなものを求めてはいないと言う人もいるかもしれないが、結局自分が楽しいこと、面白いこと、嬉しいことを求めていることに相違はない。ことに日本人はよく働く代りによく遊ぶようでもある。温泉場などはいつも満員だし、夏は海水浴に、冬はスキーにと、沢山の人々が繰り出して行く、こんなにも多くの人がいるのかと思われるほどの盛況ぶりだ。しかし、夏や冬だけでなく、春や秋に出歩く人は、もっと沢山いる。たとい外へ行って遊ばなくても、楽しんだり、喜んだりする娯楽のたぐいは、いつでも多くの人々の興味の対象となっている。

また、ある人々は金儲けに血まなこになり、朝から晩までただ金を儲けるということのために、自分のエネルギーを使っている人さえいる。最近では金儲けを餌にして人をだます者たちがあとを断たず、その手に乗って、虎の子をなくしてしまった人も少なからずいる有様である。

しかし、本当に喜ぶべき道、楽しい道というのは、こういう欲望を満たさせる道とはまた別の道なのだ。もちろん、自分のやりたいことをすること、お金を沢山得ることは、面白いことであるには相違ないだろう。しかしながら、そういうものは、目的を達成したあかつきには、むなしさだけが残るのである。つまり、こういうものによっては、私たちの心まで満たすことはできないのである。私たちの心を本当に満たすものは、もっと別のものであり、それは知恵であり、英知である。これは知識とは違う。多くの知識を得ても、それで私たちの心は決して満足はしない。この知恵とか英知というものは、私たちの心が本当に満足することのできるものである。それは、具体的には何を指しているのだろうか。それは、何かの原理とか法則というようなものではない。私たちの心が本当に満足するのは、人格によってである。私たちの心を楽しませてくれる人格とは、それは神ご自身にほかならない。

2009年7月8日水曜日

見たこと聞いたこと

私たちは、自分が見たこと聞いたことを語らないわけにはいきません。(初代教会4:20)
この世の中では、その価値という点からすれば、大したことではないのに、宣伝文句につられて、あたかもその内容がすばらしいものであるかのように思われるものがいくらもある。つまり、見かけ倒しと言われるものがそれである。

また選挙運動の場合でも、必ずしも心からその人に傾倒しているわけでもないのに、アルバイトの謝礼を沢山もらっているために、あたかも自分が推薦できる人は、世界中にこの人しかいないとでも言うような宣伝をし、応援している人もいないわけではない。つまり、自分で自分を偽っているのである。

しかしながら、私たちは、自分の良心を偽り通すことはできない。どんなに沢山のお金をもらって、一時的には自分を偽ることができたとしても、それを通し続けることはできない。つまり、私たちの良心は、正しいことに対しては正しいという反応を示し、誤っていることに対しては誤っているという反応を示すからである。というのは、良心という英語conscienceは、conとscionというラテン語から来ており、それは「共に知る」という意味である。誰が共に知っているのかと言うと、神が共に知っておられるのである。ところで、私たちは自分の弱さから、正しいと思っていることを、あらゆる事情に抗しても主張することができないのだ。そういう時、私たちは誰でも多かれ少なかれ悩むものだ。

私たちは見もしないことを見たとか、聞きもしないことを聞いたというふうに、良心は決して思わないのだが、自分の弱さのために、良心の認めているままにこれを表すことができないことがある。しかし、もしも私たちが真に正しいことを正しいと主張し、真に誤っていることを誤っていると主張できたら、どんなにすばらしいことか。私たちがある一つの経験をすると、私たちは、このように主張できる勇気の人となることができる。それは、イエス・キリストとお会いすることだ。そうする時、私たちは、主イエス・キリストにお会いしたという事実を語れるだけでなく、正しいことを正しいと語り、誤っていることを誤っていると語ることのできる人になれる。

2009年6月28日日曜日

自分の知識

心から主に信頼しなさい。
自分の英知に頼ってはならない。
何をする時にも、主を認めなさい。
そうすれば、主はあなたの道を真直にされる。(箴言3章5-6節)


自分の知識がいかに頼りないものであるかということは、だれでもよく知っている。何か重大な決断をしなければならなくなった時、その決断にずいぶん時間がかかったことはないだろうか。ああでもない、こうでもないと、考えれば考えるほど多くの道が見えてきて、ついには決断が下せなかったという経験をしたことはなかったろうか。それは、自分の意思が弱かったということよりも、決断を下す材料に乏しかったからではないだろうか。つまり、自分の持っている知識というものが、いかに不十分極まりないものであるかということの証拠なのである。

私たちが持っている知識というものは、結構不十分なもので、それでも毎日の生活にはそれほど事欠くわけではない。しかし、いざ何か大切なことを決定するということになると、その不十分で不確かなことが暴露されてしまうことになるわけである。そんな不十分で不確かな知識しか持ち合わせていないのに、そんな自分に頼るなんてことは、実に愚かなことであると言わなければならないだろう。

そう言うと、自分以外の誰に頼ったらよいのかという質問が出されてくるだろう。自分の問題を解決するのに、自分以外の者で頼れる人など本当にいるのだろうかという疑問を抱いたとしても不思議ではないかもしれない。しかし、頼れるお方がいるのである。それは人ではなく、すべてのことを完全によく知っているお方、それは神である。私たちがなかなか決断を下せなかったのは、知識が不十分であっただけでなく、利己的な自分がその不十分な知識に基づいて、いかに自分に有利な決断を下せるかと考えるからである。しかし、もっとすばらしい方法は、利己的な自分ではなく、最も正しいお方である神によって決断を下すことなのである。そうすれば、なんのためらいもなく、道を選ぶことができるし、その道はいつでも正しい道であるから、安心して歩いていくことができるのである。

2009年5月20日水曜日

永遠の視点で物を見ると

クリスチャンになって六十三年、牧師になって五十六年。あっという間に過ぎてしまったような感じがする。私たちが信じているキリスト教信仰は、永遠の視点からものを見るようにするので、たとい五十年でも百年でも、そんなものは一瞬の出来事に過ぎないのである。永遠の視点からものを見るようになると、物事が一変した。価値観も変り、悩んでいたことも悩む必要がなくなった。

クリスチャンになる前は、他人のことが気になって仕方がなかったものだ。他人と自分とを比較して、一喜一憂した。ほかの人がうまくいっているのを見ると、心の中にねたみ心が湧き上がって来るのをどうしようもなかった。これは、クリスチャンになってしばらくの間はそれがなくなったが、しばらくすると、また同じような考えが湧いてきた。牧師になっても、一緒に神学校を卒業した友人と、やはり比較した。それが、いつのころからか、そういうことをしなくなった。後輩であった人が伝道、牧会で良い働きをしているのを知っても、それを心から喜ぶことができるようになった。なぜ私がそのように変っていったかと言うと、その人々も決して競争相手ではなく、同労者であるということが分ったからである。それぞれの人に神が与えていてくださる賜物があって、それぞれその賜物を用いて、神の働き場で活躍しているわけだから、喜ぶのが当然だと思うようになったのである。競争相手と考えていた時には、やはり視点は自分の所にあって、自分中心に物事を見ていたのだが、神からの視点でものを見るようになると、自ずと見方、考え方が変っていった。主がそうさせてくださるのである。

永遠の神の視点からものを見るようになると、本当に楽になった。力む必要など毛頭ないし、背伸びする必要もない。自分の力以上のことをしようとして、あくせくすることもない。そういうふうになると、ストレスも減ってきた。毎日が楽しくて仕方がない。

永遠の視点でものを見るようになると、対人関係もうまくいくようになり、どんなことがあっても、あわてないで済むようになる。御言葉に教えられていることが素直に自分のものとして実行でき、他の人を無闇やたらに批判することも少なくなった。いつも感謝と喜びに溢れ、賛美に日を過すようになっていった。すべてハレルヤである。

2009年4月21日火曜日

もの書きになって

昔、私は書くことがにが手だった。それは私のにが手な科目の一つが作文であったことにも表れている。なぜ作文がにが手であったのかと言うと、本を読むのが余り好きでなかったことによる。本を読むよりも、ものを考えたり、作ったりすることが好きだった。そんな私が、今では百五十冊もの本を書くようになったのは、不思議と言えば不思議と言うほかはない。

もう一つのにが手のものがあって、それは、皆の前で話をすることであった。こちらの方は、キリスト教信仰を持つと、すぐ直った。皆の前で入信の話をするようにと言われ、三百人ぐらいいる人々の前で話をした時、それまでは多くの人々の前に立つと、頭の中が真白になってしまったのに、その日から私は落ち着いて、皆の前で話をすることができるようになった。

しかし、ものを書く方は一向に変りばえがしない。ものを書くという場合、二つのことがどうしても必要になってくる。何を人に伝えたいのかというものを持っているということがどうしても必要になってくる。そして、もう一つは、それをどのように伝えるかという問題である。こちらの方は、どちらかと言うと、日本語の技術の問題である。技術とは言っても、もっと具体的に言うと、伝えたいメッセージを、いかに相手に正しく伝えるかということで、つまりは、正しくて美しい日本語で表現するということに尽きる。私もそうであったが、文章の下手な人は、用語が貧弱なのである。物事を強調する場合、「非常に」以外にもいろいろな表現があるのに、そういう用語を使う努力をしようとしない。「今日は非常に暑く、スケジュールが非常にこんでいたので、非常に疲れた」という表現の「非常に」という部分をほかの言葉に変る工夫をしてみる。「今日はとても暑く、スケジュールはかなりこんでいたので、えらく疲れた」と言えば、同じことを相手に伝えることができる。

よい文章を見て、まねをすることだ。お習字を見れば分る。上手なお手本を見て、まねをする。それと同じように、良い文章をよく読み、その中のいい部分を自分の文章に取り入れてみることだ。

主が私に与えてくださった良いものを、何とかしてほかの人にも伝え、ほかの人に仕えていきたい。私がものを書いているのは、それが目的のほとんどである。

2009年4月13日月曜日

大きな試練に遭ったら感謝

人生にはいろいろなことが起って来る。患難、試練もしばしばある。そういうことが起って来た時、昔の私だったら、「何で自分だけがこんな大きな試練を受けなければならないのか」と言って呟いたものだ。クリスチャンになっても、しばらくの間は、そんな考え方をしていた。

ところが、ある時、次の御言葉と出会い、私の考え方は根底からくつがえされてしまった。
「あなたがたが今までに遭った試練は、だれにも襲って来るもので、特別なものではない。神は約束されたことを必ず果たしてくださる真実な方である。だから、約束通り、あなたがたが耐えられないような、厳しい試練に遭わせないばかりか、かえって耐えられるように逃れの道も備えてくださるのである。」(1コリント10:13)

私が耐えられないような、厳しい試練には、神が遭わせられないのだということを知ったからである。

母親が赤ん坊をお湯に入れる時、母親は赤ん坊にとって熱すぎもせず、冷たすぎもしない、ちょうどいい湯かげんを見極めてからでないと、赤ん坊をお湯に入れることはしない。

それと同じように、いや、それ以上に、神は私たちの霊的状態をご覧になっていて、これくらいなら大丈夫という試練の度合いを見極めてからでないと、私たちを試練の中に投じることをなさらないのである。

そのことが分った時、大きな試練に当面しても、神が私をそれだけ大きく評価していてくださるのだということが分り、感謝するようになった。だから、そういうことが起ってきた時、不平、不満を言うのは、全くお門違いなのである。ただこの際、覚えておかなければならないことは、神が大きな試練をお与えになった時、自分がこれほど大きな器に評価されているのだと思って、慢心してはならないことである。そんなことをしたら、たちまちにして足をすくわれて、倒れてしまうことだろう。

御言葉によって、私の人生は変ってきた。御言葉が私の人生の人格形成をしてくださったということがよく分る。私は弱虫であり、肉体ばかりでなく意志も弱い人間だった。どんな時でも不平、不満ではなく、感謝できるようなものに変えてくださったのは、神の言葉である聖書である。

2009年4月1日水曜日

自分に対してひどいことをした人を赦すことができるようになった

クリスチャンになる前の私は、自分に対してひどいことをした場合、決して赦すことなどできず、いつまでもその人に対して恨みを抱き続けていた。嫌な奴は、徹底的に嫌であった。そんな奴とは金輪際付き合うもんかと思ったものだ。

しかし、キリストと出会い、キリストを信じるようになると、キリストの御言葉を実行することに喜びを感じるようになった。初めのうちは、キリストが「あなたの敵を愛しなさい」(ルカ6:37)と教えておられる御言葉に出会っても、「それが出来たらいいだろうなあ」とか、それを目標として信仰生活を送って行けばそれでよいのだなどと考えてて、その御言葉をそれほど重く感じてはいなかった。

しかし、よく見てみると、この御言葉はキリストの命令であって、決して願望などではない。これは実行しなければならないのである。そうは言っても、そう簡単に実行できることではない。そこで、私はそれが実行できるように祈った。それを実行することは、そう簡単なことではないので、私は必死になって主の御前に出て、主の力を祈り求めた。

ある時、こんなことがあった。冬の寒い晩のことなのだが、私が床の中に入っていると、電話が掛ってきた。それは、もう十二時を大分過ぎていた。床から出て、電話器を取り上げると、何の応答もない。しばらく耳に当てていると、向うで電話を切る音がした。間違い電話ではなく、明らかに迷惑電話である。そこで、また床の中に入ると、数分してまた電話が鳴った。もしかして、教会員からの緊急電話かもしれないと思って、起き、電話口に出ると、さっきと同じ迷惑電話である。こんなことが二、三回繰り返されると、もう足が冷えて、眠れない。同時に怒りがこみ上げてきた。

次の瞬間、主が私に示してくださったことがあった。この人は、このようなことをして自己満足している気の毒な人だ。主の祝福によって心が満たされれば、もうこのような迷惑電話を掛けてくることもなくなるだろう。そうだと私は思った。そして、次の御言葉を思い出した。「あなたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福こそすれ、呪ってはいけない。」(ローマ12:14)

私がその人の祝福を祈った時、電話は掛ってこなくなった。

2009年3月23日月曜日

思い煩わなくなった

私は性来、母親譲りの取り越し苦労性だった。つまり気が小さかったと言っていいだろう。いつもくよくよしていた。取り越し苦労というのは、物事が実際に起る前に、それが起ったらどうしようかと思って悩み、それが起るとまた悩むという具合に、いつもほかの人より一回多く悩むのである。時には、それが起って来ないこともあるから、悩まないでもよいものについても悩むことになる。損な性分である。頭では分っているのだが、私はこの取り越し苦労性で悩んでいた。

ところが、私がキリスト教信仰を持つようになると、死の恐れからの解放と同時にやって来たのが、取り越し苦労性からの解放であった。それからと言うもの、ほとんど物事に思い煩うことはなくなった。それは、そういうことについてのあきらめではない。私をキリスト信仰へと導いてくださった全知全能の神、天地万物の造り主にお会いし、このお方を知ったからである。

そして、この神をさらに深く知れば知るほど、大船に乗ったような気持になり、何一つ恐れたり、不安になる必要のないことがよく分るようになった。だから、今では、どんなことが襲って来ても、思い煩うことはなくなった。

それでは、そういう問題が起らなくなったのかと言うと、そうではない。思い煩いそう面倒な問題はなくならないばかりか、以前と同じように起っている。私自身に関するものもないわけではないが、それよりも、私が関係している働きに関するものの方が、むしろ断然多い。次から次へと問題が起って来て、てんてこ舞いしそうなこともないではないが、そうしたことは、天地万物の主である神の所へ持っていって、お任せしてしまうのである。それは、神の言葉である聖書がそう教えているからである。
「神は、あなたがたのことを心配していてくださるから、あなたがたの思い煩いを、すべて神にゆだねてしまいなさい。」(1ペテロ5:7)

「何も思い煩ってはいけない。思い煩うことがあれば、どんなことでも、それを聞いてくださる神に、感謝の心を持って、申し上げるのがよい。そうすれば、私たちの常識を越えた神の平和が、キリスト・イエスによって、あなたがたの心と思いを守ってくださる。」(ピリピ4:6-7)

2009年3月8日日曜日

命のあるものは変るのが当然

私は、陸軍の士官候補生として訓練を受けた時のことが、リーダー養成の場合、いつも基本となっていたと思う。ある時、私はまだ若く、28歳の時であったと思う。神学校の専任教師として、神学生たちと生活を共にしていた。神学校は全寮制であった。入学時には緊張しているということもあって、学生たちは大体において真面目にやっているのだが、夏休み近くなると、たるんできて、夜遅くまで騒いでいることが多くなった。

ある晩のこと、説教演習と称して、一人の神学生がほかの神学生を集めて、落語をやっていた。神学生たちの騒がしい声が私の所にも聞こえてきた。時はもう夜の十時半を過ぎていた。寮のすぐ近くにはほかの家もあって、迷惑をかけることは火を見るよりも明らかである。私はついに我慢できず、その神学生たちにどなった。「近所迷惑も考えないで、こんなに夜遅くまで大声を上げるとは何事か。献身者として失格だから、すぐ布団をかついで、家へ帰れ!。」これは、後々までも語り草になっている。

それから五十年ほど経ってからのことである。一人の婦人が教会に来て、私に告白した。「私は今までに十回結婚し、十回離婚しました。」昔の私であったら、「どういう理由で結婚、離婚を繰り返したか分らないけど、そのことについて主にお詫びすることから始めなさい」と言ったかもしれない。しかし、この正直に告白した婦人に、私はこう言っていた。「あなたのような人は、きっと主に用いられると思いますよ。」すると、その婦人はこう言うのだ。「そんなことを言うのは先生くらいで、ほかの人は軽蔑の目を持って見ます。親にも言われました。『淫乱な娘だ。もう親でもなければ子でもない』と。」

私がそういったのは、決してお世辞なのではない。もしも離婚で苦しんでいる人がいて、私がその人に、「苦しくて大変でしょうね」と言ったとしよう。その時、その人はどう思うだろうか。「離婚の経験もない先生に、私の気持なんか分るわけがない」とは思わないだろうか。しかし、もしもそのような人にこの人が、「あなた大変ね」と一言言えば、それだけで、その人は、「この人なら今の私の気持を分ってくれるにちがいない」とは思わないだろうか。この人は、その後献身して神学校で学び、卒業後、開拓伝道をしている。どんな人でも、神に自分を捧げれば、神は用いてくださるのである。

2009年3月1日日曜日

私は変節したわけではない

コチコチの聖書信仰であった私が、今ではリベラルな立場の人々も、ローマ・カトリック教会やギリシャ正教会の人々も皆同じクリスチャンなのだと考えるようになったと言うと、変節したのではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、決して変節などしているのではない。私は今なお聖書信仰に堅く立っている。聖書信仰というのは、聖書が誤りのない神の言葉であるということを信じているだけを言うのではない。聖書が教えているところに従い、その御言葉に生きているのである。

そのことと、私が広い考えをするようになったということの間には、何ら矛盾はない。というのは、主イエスの仰せられているところに従って、そのような考え方になったのだから。

クリスチャンの一致ということは、主イエスの悲願なのである。従来、私は「教会一致運動」とか「エキュメニカル運動」と呼ばれるものを見て、嫌悪感を感じていた。しかし、主イエスが祈っておられる祈りにおいては、「わたしたちが一つであるように彼らも一つになること」である。三位一体の神の一致性がそこで言われているのである。組織の一致協力ではなく、内的一致なのである。

それと、前回にも言及しておいたヨハネの忠告と主イエスのお答えの中に、私は主の御心を知ることができた。「わたしの名前を使って力強い奇跡を行っている人で、わたしに反対する人はいないでしょう。わたしに反対しない人は、わたしの味方です」(ルカ9:50)。これは私にとっては大きなショックだった。

今まで、聖書信仰以外の立場は、いくらキリスト教と称していても、それは異端とは言えないまでも、キリスト教の唖流だと、ずっと思っていた。だから、味方だとは考えることができなかったのだ。もちろん、敵というほどの思いはなかったにしても、決して同士だなどとは夢にも考えていなかった。

それなのに、主イエスのお考えは、私の考えとは全く違っていた。そのことが分った時、私は自分の考え方がいかにねじ曲がったものであったかということが分り、主イエスのお考えに従うことができたわけである。だから、私は変節したわけではない。主イエスのお考えに従ったにすぎないし、これからもそうしていきたいと思っている。

2009年2月22日日曜日

命あるものは必ず成長する

私が信仰を持つようになったのは、アメリカの駐留軍の兵士たちが開いていた伝道集会においてであった。それは、GIゴースペル・アワーと称する集会だった。この人々の信仰は生き生きとしており、聖書信仰に裏付けられていた。私がその集会を紹介されたのは、私が行っていた教会の英語のバイブル・クラスだったので、私がGIゴースペル・アワーで救われると、自然とバイブル・クラスを開いていた教会の礼拝に出席するようになった。初めのうちは余りよく分らなかったが、次第に分ってきたことは、その教会が聖書信仰ではなく、バルト神学の立場を取っているということであった。

私は自分の信仰の霊的生命が窒息しそうになるのを感じて、聖書信仰の立場の先生が開拓伝道をするのを助け、その教会に転会してしまった。その先生の下で、私は福音主義信仰を徹底的にたたき込まれた。こうして、私は聖書信仰以外の立場は、あたかも異端であるかのように考えるに至った。

そして、福音主義の立場に立つ神学校で学び、その後、1960年にスタートした日本プロテスタント聖書信仰同盟の結成にも参加した。

ところが、福音主義の立場に立つ人々と付き合っているうちに、彼らの考えが、どうも主イエスの立場よりもパリサイ派の人たちの立場に近いのではないかという疑問が湧いてきた。やたらに人を批判し、自分たちの立場を絶対視し、聖霊派と称される人々を異端視する人が多いのである。

ここで私は、福音派というのが、キリスト教の唯一の立場なのかという疑問を持つようになった。聖霊派と称する人々と付き合ってみても、別に異端とは思えないし、福音派の人よりも温かい人がいるのである。

そうしている間、主イエスの最後の祈りを読んでいたとき(ヨハネ17章)、そこで主イエスが二回も弟子たちの一致について言及しておられることを知った。そして、ヨハネが主イエスに、「主のお名前によって悪霊を追い出している人を見ましたが、私たちの仲間ではないのでやめさせました」と言った時、主イエスは「やめさせることはありません。わたしの名前を使っている者は皆わたしの味方です」と仰せられたことを知り、私は聖書信仰でない人も、ローマ・カトリック教会もギリシャ正教会も皆同じクリスチャンであり、敵ではなく仲間なのだということが分り、「クリスチャンの和解と一致」 (地引網出版)という本を書いたのである。

2009年2月16日月曜日

弱かった私が今では強くなった

私は体が弱く、二十歳まで生きられるかどうか危ぶんだと前に言ったが、このごろではほとんど病気らしい病気をしない。五十代半ばの頃、超多忙で、私は心筋梗塞の一歩手前まで行ったことがあった。いくら病院で出してくれる薬を飲んでも、心電図が改善されないのである。その時、一人の教会員が来て、食事療法をすることをすすめてくれた。それは、玄米雑穀飯に菜食である。肉などの動物性蛋白質や砂糖、化学調味料をやめるというものであった。一か月ほどして、体重は九キロやせた。すると医者からすすめられていた水泳の調子がよくなった。それまでは、二、三百メートル泳ぐと一休みし、それから千メートル泳ぐのである。ところが、今度は休みなしに千メートル泳ぐことができるようになった。家内も一緒に始めたところ、尿素窒素の数値が正常値になった。

こうして、私たち夫婦は八十を超えたが、至って健康体である。耳は遠くなり、記憶力も衰えたりしてきてはいるが、多くの人がインフルエンザにかかっても、私たちはかかったことがない。

人間の体に与える影響としてストレスが大きいことはよく知られているところだが、私たちクリスチャンは、ストレスになるようなことが起って来ても、それをまともに受けない方法を知っている。それは、主イエスが次のように仰せられていることを実行するからである。
「疲れている人や、重荷を負っている人は、だれでも、わたしの所に来なさい。わたしは、あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)

これを実行していれば、倒れてしまうことはない。ストレスは、暑さ、寒さばかりではなく、痛いこともストレスになる。しかし、人間特有のストレスとしては、感情的なものがある。だれかに対して怒ったり、恨んだり、憎んだりすることがストレスとなって、肉体をむしばんでいく。自分に対してひどいことをした人を赦すこと。自分の意思や力でやろうとしても、それはできる相談ではない。そこには、どうしてもキリストの力が必要である。キリストによって赦されたという経験のある人なら、だれにでもできることである。だから、私はクリスチャンになって、よかったと思っている。弱虫だった私がこんなに強くなっているのは、キリストのおかげだからである。

2009年2月9日月曜日

紆余曲折の人生

私は元々理科系の人間で、科目の中で一番好きなものは数学だった。その上、設計が好きだったので、将来は建築家になりたいと思っていた。ところが、戦争が激しくなり、男という男は皆戦争に駆り出されるという情況になってくると、やはり、一兵卒としてよりも将校の方がいいと考えるようになっていった。私が陸軍士官学校の方を選ばずに陸軍経理学校を選んだのは、経理部の将校は比較的後方勤務が多く、比較的死ぬ確率が低いというただそれだけの理由であった。

入ってみると、なんと理科系よりも文科系の科目の方が多かった。当時、一般の大学では、学生たちは皆勤労動員と称して、軍需工場で働かされていたため、授業はなく、優秀な教授たちは、皆陸海軍の学校で教えていた。そんなこともあって、文科系とは言え、その道の第一人者とも言うべき教授が陸軍経理学校にも来て、教えていた。だから、私は憲法を東大の宮沢俊義教授から習ったし、民法は戒野道孝教授から習い、また経済学原論は一橋大(当時は東京商大と言っていた)の山田雄三教授から習った。一流の教授に就くということは、その科目に興味を持つようにしてくれ、ことに私は法律にかなりの興味を持つようになった。

もちろん、理科系の科目もないわけではなく、ことに栄養学には殊の外興味を持つようになった。それは、川島四郎主計少将の弟子の興味深い栄養学の講議によるものであった。

しかし、敗戦になり、私が選んだ道は建築であり、私は大学の理工学部の建築科に入った。大学一年の時、私はクリスチャンになり、やがて牧師への道へ進むことになると、理工学部の建築科をそのまま進むよりも牧師としての基礎的な学問を身に着ける必要から、転部試験を受けて、文学部の史学科で西洋史を専攻するようになる。

この紆余曲説した人生が、牧師となる私にとって、何一つ無駄にはなっていないことを知った。陸軍経理学校でたたき込まれたリーダーとしての姿勢は、今でも役に立っている。そこで学んだ法律知識も役に立っている。理工学部時代に身に着けた論理的思考法も大いに役立っている。私が一番にが手とした文科系の学びは、強制的にそれを学ばせられることによって、牧師としての基礎的知識として役に立っている。にが手の語学も、どうやら今では何とかこなしていかれる。神のなさることは何一つ無駄になることはない。

2009年2月2日月曜日

ごく普通の家庭

私が生れ育った家庭は、ごく普通のものだった。両親と兄と妹の五人で、父親は三越百貨店に勤めていた関係で、日曜日は休みではなく、休日は八の字の付く八日と十八日と二十八日だけ。その日は大抵ゴルフに行っていた。結構上手だったらしく、家には、優勝カップがいくつもあった。そのほとんどは、戦闘中、貴金属供出で、戦後一つだけ残っていたカップは、私が開拓伝道をした初期のころ、洗礼式に水を入れるのに使わせてもらった。

私は自分の家庭がそれほど金持でもなく、そうかと言って、食べていけないほど貧乏でもなく、ごく普通の家庭だったので、ほかの人々も皆同じなのだろうと単純に考えていたが、牧師になり、多くの人と接するようになると、こうした普通の家庭の方がむしろ少ないことを知って、驚いた。片親しかいない人、親が再婚して、腹違いの兄弟姉妹がいる人、さらには親のいない人もいる。親はいても、どこのだれなのか分らない人もいて、私が特別に恵まれた環境の中に育ったのは、そうでない人のために何か役に立つことをしなければならないのだということが分った。

母は、どちらかと言うと、教育熱心な方で、勉強をするように私を仕向けた。担任の先生との合い性が良かったということもあって、学校の成績は良い方であった。そして、そういう環境の中にいると、とかく人間を学校の成績によって決めてしまうという考え方に染っていかざるをえなかった。後になって、そういうものの見方がいかに偏ったものであるかということを痛感しないわけにいかなくなるのである。

戦争が激しくなり、そのままでは二等兵として召集されることになり、それを避けるには、陸海軍の将校になるための学校に入るのが一番近道であるということが分った。そうなると、猛勉強して、旧制の中学を終えるとすぐ、陸軍経理学校へ入ることができた。この学校へ入ったのは、まだ十七歳であったが、二等兵、一等兵、上等兵を飛び越して、いきなり兵長の下の位をもらい、士官候補生となったのである。ここから、いよいよキャリヤー組に向う生活が始まることになる。しかし、敗戦によって、私の人生は挫折してしまった。それはよかったのだと思う。もしもあのまま行っていたら、おそらく鼻持ちならぬ人間になっていたことだろう。ピンチはチャンスなのである。

2009年1月26日月曜日

死を思うころ

私は、自分の人生について、主イエス・キリストがどのように介入し、私を導いてきてくださったかということについて、三冊の本を書いてきた。「さすらい」、「生きて働かれる神」、「今も生きておられる神」である。そのほか「牧会余話」にも書いてきた。しかし、八十二歳になる今も、もう一度自分の人生を振り返り、今まで書いてきたことと重複するところもあるかもしれないが、それ以外のことについても書いてみようと思う。すべては主の御手の中において起ったことで、そのことを意識しながら、主の恵みを覚えつつ回顧してみようと思う。

私は元々弱虫で、体もひ弱で、はたして二十歳まで生きられるかどうかをあやぶんだほどであった。意志も弱く、こんな人間がはたして一生生きられるのかと考えたこともあった。小学校時代は、しょっちゅう病気をし、学校をよく休んだ。六年生の時には、大腸カタルから虫垂炎を併発し、手術をしたのだが、少し手遅れで、腹膜炎になりかかっており、危うく一命を落とすところであった。そんなこともあって、死をより身近かに感じることが多くなった。何かをしていても、死んだらもうおしまいじゃないかとか、楽しい遊びの最中でも、死を思い浮かべると、少しも楽しくはなかった。

私が五歳のころ祖父が亡くなったのだが、そのころの記憶はそれほど定かではなく、その後、わが家は長らく死ぬ人がいなかったのに、不思議と私は死におびえていたのである。人はどうして死ぬのかといった疑問が、心の中にうごめいていた。それを、だれに言っても、まともな答えが返っては来ないだろうと自分勝手に心の中に決め込んで、だれにも聞こうとはしなかった。そしていつも思うことは、どうしてほかの人は死のことについて悩まないでいられるのか不思議でならなかった。私だけが特別に変った人間なのかとも考えてみた。

父も母も、学校の先生たちも、死のことについては少しも触れないし、先生はそんなことよりも勉強を教えることで精一杯に見えた。いきおい、人知れず心の中に一人しまい込んでおくより仕方がなかった。そして時々こんなことを考えたりしていた。いくら勉強をしても何をしても、人は死んだらおしまいだから、空しいんじゃないか。死ほど厳しい現実はないし、もしもこれさえなければ、人生はどんなに楽しいことだろうかとも考えた。

2009年1月19日月曜日

クリスマス

多くの人は、クリスマスこそキリスト教の最大のお祭りぐらいに考えている。しかし、クリスマスが祝われるようになったのは、四世紀からで、初代教会では全く祝われてはいなかった。しかも、十二月二十五日という日付は、キリストご降誕を歴史的に調査して割り出したものではなく、もっと別の理由から祝われるようになった。もともと十二月二十五日には、冬至祭という異教的なお祭りが盛大に祝われていた。ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認するようになると、それに代るものとして、教会では、十二月二十五日をキリストが降誕の日として祝うようになったようである。

それでは、初代教会が盛大に祝っていたのは何かと言うと、それはキリストの十字架上の死と復活である。これこそキリスト教の中心だからである。そういうわけで、私たちを罪から救うために天から降りて来てくださったキリストを祝うというのでなければ、クリスマスは何の意味もないことになる。

十二月二十五日にキリストがお生まれになったのではないということは、いくら南国のユダヤであっても、このころはかなり寒く、夜、羊が野宿することなどないという理由からである。今日では、九月頃ではなかっただろうかという学者もいるくらいである。それなのにキリスト教界では、どうして十二月二十五日に固執するのだろうか。

主イエスのご降誕より半年早く生まれた人がいた。それは、バプテスマのヨハネである。彼は主イエスのことを次のように言っている。「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)。主イエスのご降誕が冬至のころとすれば、バプテスマのヨハネの誕生は夏至のころになる。夏至からは日がだんだん短くなるのに対して、冬至からは長くなっていく。つまり、それを象徴的に示しているとキリスト教界は理解した。だから今日でもそのままにしている。

クリスマスにおいて重要なことは、その日付や由来よりも、その意味である。聖い神の御子が聖い天から罪に満ち満ちたこの世に来られたのである。どうしてなのか。それは、罪人を救うためなのである。罪人を救うためには、それ以外にはなかったから。
「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』という言葉は、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。」(1テモテ1:15)

2009年1月11日日曜日

クリスチャンについての誤解

クリスチャンと言うと、酒やたばこを飲まない人というイメージが、わが国では強い。しかし、今日では、酒を飲む人はいても、たばこを吸わない人は、ノンクリスチャンの中にもいるから、これらのことだけで、それがクリスチャンであるということにはならないだろう。

クリスチャンであるということを決定するのは、その人がどういうことをしているかということよりも、その人がどういう人であるのかということが重要だ。人格的に立派であると言ったところで、人格的に立派に見えることをしているということにすぎない。だから、必ずしも内面的なことを言っているわけではないだろう。

それでは、クリスチャンとは、どういう内面的な事実を持っている人なのかということについて考えてみることにしよう。聖書では、クリスチャンとは、キリストと共に古い人に死んで、キリストと共に新しい人に生きた人だと教えている。それでは、キリストと共に古い人に死んで、キリストと共に新しい人に生きるとは、どういうことなのだろうか。クリスチャンとは、信仰によってキリストと結び付けられた人のことである。キリストは私たちの罪を身代りに背負って、十字架上で死んでくださった。私たちが信仰によってキリストと結び付けられると、私たちの古い人は、キリストと共に十字架上で死んでしまったのだ。また、キリストは死人の中から復活されたので、私たちが信仰によってキリストと結び付けられると、キリストと共に新しい命が与えられる。これを生れ変りと言うのである。

そのしるしとして、私たちはバプテスマ(洗礼)を受ける。だから、洗礼を受けたかどうかが、クリスチャンであるかどうかを決定するのではない。むしろ、クリスチャンであるかどうかを決定するのは、生れ変ったかどうかということである。だから、キリストと結び付くバプテスマによって生れ変るということが大切であり、クリスチャンは皆この経験をしている人である。そういうわけで、いくら水の洗礼を受けたとしても、その実質であるキリストと結び付くバプテスマを受けていなければ、クリスチャンとは言えない。この生れ変りの経験は、必ずしも劇的な回心を意味するものではない。しかし、今キリストを自分の救い主と信じているのであれば、その人は生れ変った人である。

2009年1月5日月曜日

霊的世界の事情

日本人の霊的貧困さについては、挙げればきりがないほどである。迷信じみたことが平気で行なわれているかと思うと、占いに自分の運命を託す人が後を絶たない。不安だという面が一方にはあって、もう一方には何かに頼りたいという気持がある。その時、どうして占いなどに行くのかと言うと、霊的に貧困で、幼稚だからである。

いくら金利が安い時代だからと言って、月一割の金利を払ってくれるという所があると言ったら、それに飛び付く人がいるだろうか。まともな人なら、その信頼性を疑うだろう。なけなしの一千万円を預け、一か月目に行ったら金利として百万円をもらい、二ヶ月に行ったら、また百万円をもらい、このまま行けば、一年後には元利合計が倍以上になっていると思い、三か月に行った所が、もうそこには店はなく、近所隣りの人に聞いてもだれも分らないと言う。そんな所に大事なお金を預けないだろう。預けるとしたら、大馬鹿者である。

ところが、自分の大事な人生を占いなんかによって分ろうとするのは、この大馬鹿者と同じではないだろうか。預ける相手が本当に信用できるものなのかどうかを確かめることが何よりも大切なのである。

ところが、日本人はどのような神を信じるのか、その対象をほとんど問題にしない。「鰯の頭も信心から」などと言う。だから、霊的に貧困であり、幼稚だと言うのである。大切なのは、信じるに足る神なのかどうかということなのである。

ところで、霊的世界に無知な日本人は、占いや、まじないなどにまどわされ、心霊術や霊媒に対して何の警戒心もない。こういうものは、悪霊によるものであって、このようなものに一度でも関係すると悪霊につかれてしまうことを知らない。悪霊につかれた場合、いくら祈ってもだめだ。悪霊の追い出しをする以外にない。イエス・キリストのお名前の権威によってする時に、はじめて悪霊は出て行く。イエス・キリストのお名前の権威というものが、いかに力強いものであるかということが分る。

どういう人が悪霊につかれやすいかと言うと、悪霊の好む餌を持っている人である。それは、占いやまじないなど異教に関係したものや、罪である。餌がなければ、ねずみやごきぶりが出て来ないのと同様だ。そういう悪霊の好む餌を持っていたら、悪霊がその人の中に入り込みやすい。だから、それらのものを一掃しておく必要がある。