2009年6月28日日曜日

自分の知識

心から主に信頼しなさい。
自分の英知に頼ってはならない。
何をする時にも、主を認めなさい。
そうすれば、主はあなたの道を真直にされる。(箴言3章5-6節)


自分の知識がいかに頼りないものであるかということは、だれでもよく知っている。何か重大な決断をしなければならなくなった時、その決断にずいぶん時間がかかったことはないだろうか。ああでもない、こうでもないと、考えれば考えるほど多くの道が見えてきて、ついには決断が下せなかったという経験をしたことはなかったろうか。それは、自分の意思が弱かったということよりも、決断を下す材料に乏しかったからではないだろうか。つまり、自分の持っている知識というものが、いかに不十分極まりないものであるかということの証拠なのである。

私たちが持っている知識というものは、結構不十分なもので、それでも毎日の生活にはそれほど事欠くわけではない。しかし、いざ何か大切なことを決定するということになると、その不十分で不確かなことが暴露されてしまうことになるわけである。そんな不十分で不確かな知識しか持ち合わせていないのに、そんな自分に頼るなんてことは、実に愚かなことであると言わなければならないだろう。

そう言うと、自分以外の誰に頼ったらよいのかという質問が出されてくるだろう。自分の問題を解決するのに、自分以外の者で頼れる人など本当にいるのだろうかという疑問を抱いたとしても不思議ではないかもしれない。しかし、頼れるお方がいるのである。それは人ではなく、すべてのことを完全によく知っているお方、それは神である。私たちがなかなか決断を下せなかったのは、知識が不十分であっただけでなく、利己的な自分がその不十分な知識に基づいて、いかに自分に有利な決断を下せるかと考えるからである。しかし、もっとすばらしい方法は、利己的な自分ではなく、最も正しいお方である神によって決断を下すことなのである。そうすれば、なんのためらいもなく、道を選ぶことができるし、その道はいつでも正しい道であるから、安心して歩いていくことができるのである。