2009年4月1日水曜日

自分に対してひどいことをした人を赦すことができるようになった

クリスチャンになる前の私は、自分に対してひどいことをした場合、決して赦すことなどできず、いつまでもその人に対して恨みを抱き続けていた。嫌な奴は、徹底的に嫌であった。そんな奴とは金輪際付き合うもんかと思ったものだ。

しかし、キリストと出会い、キリストを信じるようになると、キリストの御言葉を実行することに喜びを感じるようになった。初めのうちは、キリストが「あなたの敵を愛しなさい」(ルカ6:37)と教えておられる御言葉に出会っても、「それが出来たらいいだろうなあ」とか、それを目標として信仰生活を送って行けばそれでよいのだなどと考えてて、その御言葉をそれほど重く感じてはいなかった。

しかし、よく見てみると、この御言葉はキリストの命令であって、決して願望などではない。これは実行しなければならないのである。そうは言っても、そう簡単に実行できることではない。そこで、私はそれが実行できるように祈った。それを実行することは、そう簡単なことではないので、私は必死になって主の御前に出て、主の力を祈り求めた。

ある時、こんなことがあった。冬の寒い晩のことなのだが、私が床の中に入っていると、電話が掛ってきた。それは、もう十二時を大分過ぎていた。床から出て、電話器を取り上げると、何の応答もない。しばらく耳に当てていると、向うで電話を切る音がした。間違い電話ではなく、明らかに迷惑電話である。そこで、また床の中に入ると、数分してまた電話が鳴った。もしかして、教会員からの緊急電話かもしれないと思って、起き、電話口に出ると、さっきと同じ迷惑電話である。こんなことが二、三回繰り返されると、もう足が冷えて、眠れない。同時に怒りがこみ上げてきた。

次の瞬間、主が私に示してくださったことがあった。この人は、このようなことをして自己満足している気の毒な人だ。主の祝福によって心が満たされれば、もうこのような迷惑電話を掛けてくることもなくなるだろう。そうだと私は思った。そして、次の御言葉を思い出した。「あなたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福こそすれ、呪ってはいけない。」(ローマ12:14)

私がその人の祝福を祈った時、電話は掛ってこなくなった。