2009年8月23日日曜日

解放の福音

ああ、なんと幸いなことだろう、自分の罪を赦され、覆い消された人々。(詩篇32篇1節)

夜、夢の中で誰かに追いかけられて、早く走ることができず、足がすくんでしまったというような恐ろしい夢を見たことはないだろうか。夢の中だけでなく、誰かがこわくて仕方がないという経験をしたことはないだろうか。ところで、こうしたこととも関係があるのだが、心の中で何かに締めつけられて苦しんだというような経験をしたことはないだろうか。つまり、誰かに隠して持っていた罪のためとか、誰にも言うことのできない心の中の秘密のために、人知れず苦しむというようなことである。

おそらく、こうしたことは、誰にでもあることではないだろうかと思う。もしもそのことを正直にしゃべってしまうと、今までの信用が台なしになってしまうとか、自分の顔が丸潰れになってしまうと思って、なかなか人に話すことができない秘密を持っているわけである。ところが、誰にも話さずに自分の心の奥深くに仕舞っておくと、どういうことになるかと言うと、自分をじわじわと苦しめてくるのだ。それでは、このことの解決はどこにあるのだろうか。

結局は、自分を苦しめている秘密であるとか、罪などが解決されない限り、決して解決することはできない。心の中に秘密の部屋がある限り、私たちの心はこの秘密の暗闇の部屋のために苦しめられ続けることになる。

それでは、どうしたら解決になるのかと言うと、この秘密の真暗闇の部屋に中に光が入らなければならない。そのためには、その秘密の部屋の扉が開かれなければならない。今までほかの人に隠していたこと、それゆえに秘密の部屋を形造っていたもろもろの秘密を真の光である神の御前にさらけ出さなければならないのだ。人の前にさらけ出す時には、かえって困難な問題を引き起すことにもなりかねないが、神の御前にさらけ出すなら、私たちの心の重荷はすっかり取れて、心の束縛から解放されるようになる。神がそれをしてくださるのだ。それをする時にも、人の助けなど必要とはしない。人の助けを求めると、かえって共依存という問題を残しかねないからである。