2007年8月4日土曜日

なんで人間は結婚するのか

人間はだれでも男か女としてこの世に生まれてくる。人間が男か女としてこの世に生存しているという事実は、実は、神がそのように人間を造られたという事実に由来している。人間は、この地上に存在するようになった最初から、男と女として存在してきた。だから、私たちは「性」の問題を、不真面目なことと考えてはならない。私たちは「性」の問題を、神の創造の秘義として、真面目に考えてみなければならない。

神が最初人間を造られた時、ただの人間として造られたのではなく、「男と女とに創造された」(創世1:27)のは、まず第一に、男と女がお互いに助け合って、宗教的使命、社会的使命、個人的使命を果し、神の栄光を現わし、真に住みよい世の中を作り出していくためであった。もちろん、男同士、女同士の協力によって出来ることがあるのを否定するものではないが、神が人間を男と女とにお造りになったという事実は、男と女の協力なしに成し遂げられない使命を神がお与えになったのだということを物語っている。もちろん、これは単に結婚だけに限定される事柄ではないが、その中心は結婚して家庭を持つというところにあった。家庭というものは極めて重要であって、今日、家庭が崩壊しているがために、非行、犯罪が横行していることは、だれの目にも明らかである。

好きな者同士で同棲し、セックスをすることが何が悪いのかと言う人たちに対しては、家庭の崩壊がもたらす社会の崩壊が、ついには国家さえも破壊しかねないのだということを言えば、十分だろう。神が家庭を制定されたのにはわけがある。そこにしか本当の秩序はないからである。

男性と女性とが協力して、この世において使命を果していく場合、男性としての果す役割、女性としての果す役割がある。男性は、男性でなければできない働きをし、女性は、女性でなければできない働きをすべきである。

どんなに時代が変っても、子供を産み、育てるのは女性である。男性はこのことに思いやりと愛情を表さなければならない。と同時に、この子育てという実に重大な仕事-次の世代について責任を持つという意味において-に、夫婦して取り組むことは大切なことであると言わなければならない。このことについて、もっとよく知りたい方は、「結婚の備え」(いのちのことば社)参照。