2008年10月11日土曜日

病気について思うこと

私は元来、体が弱く、よく病気をした。風邪をひいたり、おなかをこわしたりするのがしょっちゅうだった。そして節目には大病をわずらったものだった。小学校を卒業する時には、大腸カタルから虫垂炎になり、少し手遅れになったため、三週間も入院していた。この分では六年をもう一度やらなければならなくなるかもしれないと言われていたのに、回復が早く、留年しないでも済んだ経験がある。中学を卒業する時には、痔瘻になり、入院中に陸軍経理学校入学の通知を受け取り、約二ヶ月の入院生活を送らなければならなかった。大学を卒業する時には、肺浸潤になり、卒業式には出席できず、両親が代りに出席して、卒業証書をもらってきてくれたことがあった。

このように体が弱かったのに、時勢ということもあって、戦争が激しくなると、一兵卒として軍隊に行くよりも将校として軍務に服した方がよいという思いが強くなり、陸軍経理学校入学へ行った。そこでの厳しい訓練は、体の弱い私には、かなりきつかったが、そえれでもそれに耐えられ、なんとかみんなに付いていくことができた。

私は、体力については、いつも引け目を感じていた。走ること以外は、すべてレベル以下であった。人並みの体力を持っていなかった私は、はたして二十歳まで生きられるかと思い悩んでいた。しかし、そんな私が今八十歳になり、なお現役で活動していられるのは、健康について無知であったところから目覚めたからであると思う。

健康についての無知は、体を害すること必然である。私はずいぶん長い間、健康について不安であるにもかかわらず、そのからくりを知ろうとはしなかった。病気になったら医者に行けばよいと考え、食べる物については、好きな物を食べ、何を食べたら体はどうなるかというようなことについては、とんと無知で、また知ろうとも思っていなかった。

ところが五十代半ばのことであった。長男がアメリカの神学校を卒業して、その卒業式に出席し、帰国すると、私が責任を持っていた日本教会成長研修所のセッションが開かれ、責任の立場にある者として、そこに出席しなければならず、出席していた時、家から電話があって、父が倒れたというので、すぐ家に帰った。その二日後に父が召され、葬式を済ませると、その週の土曜日には娘の結婚式があり、それを済ませ、その翌日の礼拝をも済ませ、月曜日から始まる学生会の合宿に行こうとして靴を履こうとするのだが、足がむくんでいて、靴が履けない。家内が私の行くのをとめるので、ちょうど神学校を卒業して帰国したばかりの長男がいたので、学生会の合宿の方は長男に任せて、家内と一緒に医者に行った。すると、医者は心筋梗塞の一歩手前だと言うのだ。薬を飲み、安静にしていることを薦められた。その年の夏は湯治に行ったりしたのだが、いくら医者の出してくれる薬を飲んでも、一向に心電図がよくならないのだ。

そうこうしているうちに、一人の婦人がわが家にやってきて、食事療法を薦めてくれた。われわれ夫婦はそういうことに無知であったので、三白の害とか、四白の害と言われても、それが何のことなのかさっぱり分らなかった。三白の害というのは、白米、白砂糖、化学調味料の害のことであり、四白の害というのは、それに食塩が加えられるのだ。なぜ食塩がいけないのかと言うと、99.6パーセント以上の塩化ナトリウムであり、科学薬剤にほかならないからなのである。こういうものを採っていたら、必ず病気になると言う。

そして、玄米、雑穀飯に、野菜中心の菜食主義がよいと言うのである。蛋白質は植物性蛋白質がよく、大豆製品として、豆腐、納豆、味噌、醤油など、それにごま、木の実やコーンなど。そのため、大好物であった肉類や甘い物はやめなければならなかった。

するとどうだろう。一ヶ月で9キロやせてしまった。医者は心臓のために、ゆっくり泳ぐことを薦めてくれていたのだが、千メートル泳ぐのに、二、三百メートル泳いでから一息入れないと、その後泳げなかったのに、休みなしに千メートル泳げるようになったのである。これには驚いた。家内も同じ食事を食べるようにしたら、重かった足が軽くなり、非常に高かった尿素窒素の数値が平常値になった。

それから、わが家では玄米雑穀飯に菜食で、いたって健康である。健康を保持するために、良く眠ることや適度な運動も大切だが、食事は何よりも重要である。添加物はなるべく避け、有機農法で自然食を心掛けている。

それと同時に、ストレスをまともに受けないように心掛けている。ストレスになりそうな事はしょっちゅう起ってくるが、嫌なこと、耐えられないことが起ってきたら、いつも主イエスのみもとに行って、その心の荷物を下すことにしている。だから、人からひどいことをされたり、腹立たしいことが起ってきたら、主イエスのみもとに行くのが一番である。主イエスは、こう言っておられるから。
「疲れている人や重荷を負っている人は、だれでも、わたしの所に来なさい。わたしは、あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)