2009年3月8日日曜日

命のあるものは変るのが当然

私は、陸軍の士官候補生として訓練を受けた時のことが、リーダー養成の場合、いつも基本となっていたと思う。ある時、私はまだ若く、28歳の時であったと思う。神学校の専任教師として、神学生たちと生活を共にしていた。神学校は全寮制であった。入学時には緊張しているということもあって、学生たちは大体において真面目にやっているのだが、夏休み近くなると、たるんできて、夜遅くまで騒いでいることが多くなった。

ある晩のこと、説教演習と称して、一人の神学生がほかの神学生を集めて、落語をやっていた。神学生たちの騒がしい声が私の所にも聞こえてきた。時はもう夜の十時半を過ぎていた。寮のすぐ近くにはほかの家もあって、迷惑をかけることは火を見るよりも明らかである。私はついに我慢できず、その神学生たちにどなった。「近所迷惑も考えないで、こんなに夜遅くまで大声を上げるとは何事か。献身者として失格だから、すぐ布団をかついで、家へ帰れ!。」これは、後々までも語り草になっている。

それから五十年ほど経ってからのことである。一人の婦人が教会に来て、私に告白した。「私は今までに十回結婚し、十回離婚しました。」昔の私であったら、「どういう理由で結婚、離婚を繰り返したか分らないけど、そのことについて主にお詫びすることから始めなさい」と言ったかもしれない。しかし、この正直に告白した婦人に、私はこう言っていた。「あなたのような人は、きっと主に用いられると思いますよ。」すると、その婦人はこう言うのだ。「そんなことを言うのは先生くらいで、ほかの人は軽蔑の目を持って見ます。親にも言われました。『淫乱な娘だ。もう親でもなければ子でもない』と。」

私がそういったのは、決してお世辞なのではない。もしも離婚で苦しんでいる人がいて、私がその人に、「苦しくて大変でしょうね」と言ったとしよう。その時、その人はどう思うだろうか。「離婚の経験もない先生に、私の気持なんか分るわけがない」とは思わないだろうか。しかし、もしもそのような人にこの人が、「あなた大変ね」と一言言えば、それだけで、その人は、「この人なら今の私の気持を分ってくれるにちがいない」とは思わないだろうか。この人は、その後献身して神学校で学び、卒業後、開拓伝道をしている。どんな人でも、神に自分を捧げれば、神は用いてくださるのである。