2008年8月3日日曜日

結婚について 2/2

私たちがだれと結婚するかについては、神がすでに決めておられ、その人と結婚するわけである。そのことを、私たちはそれぞれ主体的に受けとめ、結婚することになる。このように主体的に自分で結婚の相手を決められる人が、実は一人前の人間なのである。両親を離れて二人が一体になれるためには、どうしてもこのように精神的に独立した一人前の人間であることが必要である。結婚の相手さえも親に決めてもらわなければならない赤ん坊では、とうてい結婚する資格などないと言ってよい。

ところで、結婚する人は、一人前の人間なのだから、結婚するにあたっては、当然、精神的にも経済的にも親から独立している人でなければならないはずだ。これができていない人は、結婚して、何か問題が起ってくると、すぐ親の助けを借りなければならず、夫婦の絆が揺ぎ出す原因を初めから作っていると言ってよいだろう。

結婚は、神によって定められている男女の二人が一体となることであり、それを神の御前において誓約するのが結婚式である。だから、結婚式の中心は、あくまでも結婚する二人の神の御前における誓約である。その内容は、相手が神によって定められている人であることの確認と、そのような人として生涯相手に対するということにほかならない。

しかし、神の御前で誓約しさえすれば、それで自動的に一体になれるのかというと、決してそうではなく、生涯、一体になることの努力が課題として与えられているのだ。それは、夫はキリストが教会を愛された愛によって妻を愛し、妻は教会がキリストに従う服従に倣って夫に従うことによってできる(エペソ5:22-33)。

こうして、クリスチャンは自分たち夫婦を結婚するように定めてくださった神がいかにすばらしいお方であるかを表す生活をし、今日、崩壊しつつある家庭を築く働きをし、また夫婦が相互に啓発し合うわけである。結婚には、このように宗教的、社会的、個人的使命があることを知り、それを果たしていくのだ。

今日どれほど多くの家庭が崩壊しているかということを知る時、恐ろしい気がしてならない。崩壊家庭が増えれば、青少年非行問題も増える。離婚が増え、その犠牲者が増えつつある今こそ、クリスチャンは本当の家庭を築いていくべきである。人間は皆エゴイストだから、いつも問題が起りがちだが、クリスチャンはこのエゴイズムの問題を解決した者たちであり、絶えず反省心を持っている者たちだから、問題が起った時、相手を責めるのではなく、自分自身反省すべきである。

クリスチャンの家庭にも多くの誘惑が襲い、危機とも呼ばれるべき時が来る。その時、二人が別々に考えたり、別々の方向に行動を起こしたりせず、それぞれが反省し、一緒に力を合せて乗りきることにより、揺るぎない家庭を築いていくことができる。

結婚とは、一人の人間と一人の人間とが裸になってつき合うことである。もしも私たちがそれを肉体的なことだけだと考えるとしたら、それは人間を偽って見ていることになる。人間は、霊肉両面あって初めて完全だ。つまり、結婚とは、全人間的なつき合いなのである。ここにおいてうまくいかなかったとしたら、一体ほかのだれとうまくつき合うことができるだろうか。ここにおいて真の人格的交わりが成り立たないとしたら、もはや絶望と言うほかはない。それほど結婚は重要なことだ。人間社会において、人格同士の交わりが重要であるとしたら、結婚はその基本なのである。

しかも、結婚そのものは神によって定められたことで、結婚する二人も神によって結婚するように定められていた者同士である。つまり、結婚というものは、あくまでも神から出たことであって、人間が自分たちで考えだしたことではない。だから、私たちは、結婚式という社会のしきたりが二人を夫婦にするのではなく、神が二人を夫婦にするのだということを覚えることが大切なのである。

そういうことになると、私たち夫婦が交わりを持つことが許されるのは、神の許しということ以外にはない。二人の愛ではない。もちろん二人が愛し合っているということは大切なことである。しかし、二人が肉体の交わりをすることが許されるのは、二人が愛しているからなのではなく、神が許してくださったからだ。そしてそれは、二人が神の御前で厳粛に誓約した時であることは言うまでもない。

ここに、私たちが婚前性交、婚外性交を認めない真の理由がある。神が許しておられないことを、どうして人間が行えるだろうか。どんなにもっともらしい理由をつけても、結局は自分のしたいことをするということに帰着する理論を認めることはできないし、人間の欲望が最終的判断の基準なれるわけがない。このように、キリスト教に立った結婚以外に、一体どこに聖い結婚、揺るぎない家庭というものがありうるだろうか。ここにまた、結婚の確かさがあるのである。結婚について、もっと知りたい方は、拙著「結婚の備え」(いのちのことば社)を参照されたい。