2007年11月14日水曜日

アジアの人々への謝罪運動 2/2

日本の近代化百数十年の歴史は、アジアの人々との共生を模索したのではなく、アジアの人々を踏み付けにしてきたものであった。この事実を、私たちは決して忘れてはならない。加害者という者は自分のやってきた悪事を簡単に忘れてしまうものだが、被害者はいつまでもその痛みを覚えているものである。現に私たち日本人は、いまだに原爆被害を叫び続けているではないか。それは、今もその痛みがあるからである。日本人は、被害者であったと同時に、加害者でもあったのだということを知らなければならない。そうでないと、アジアの人々の心の痛みを見過ごしにしてしまわないとも限らない。私たちがアジアの人々との共生を願うなら、そのことをいいかげんにすることはできないのである。

1956年の初夏のこと、ある朝、私はディヴォーションを持っていて、マタイによる福音書5章を読んでいた。その時、私は次の御言葉に捕えられてしまった。
「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみを抱いていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。」(マタイ5:23-24 口語訳)

「祭壇に供え物をささげ」ることは、礼拝のことである。神の民にとって、礼拝は何ものにも勝って優先しなければならないことなのに、それよりも優先しなければならないことがあるというのである。それは和解である。なぜ和解がそんなに重要なのかと言うと、この御言葉の文脈から見ていくと分るのだが、だれかからうらみを買っているというのは、殺人だからなのだと教えられている。

私はこの御言葉を読みながら、私たち日本人は確かにアジアの人々から恨みを買っているということを思い出していた。なかでも、とくに韓国、中国の人々に対してわが国が行なってきたことを知っていたからである。この御言葉を見る限り、私たちがいくら熱心に礼拝をささげても、主から祝福を受けることはないだろうと思った。それは、アジアの人々に対して謝罪が行われていないからである。それをしなければならないことを、私はその日神から強く示された。こうして私が始めたアジアの人々への謝罪運動について、くわしくは、月刊雑誌「羊群」(羊群社)の2007年1月号からに連載されている。