2008年1月9日水曜日

クリスチャンになってよかった 3/10

クリスチャンになってから心配事が少なくなったことは事実である。クリスチャンになる前の私は、気が小さく、何でもないことまでも心配しないではいられなかった。ほかの人から見れば何でもないことなのに、当人にとっては心配でならないことが多くあった。

私は小さいころから体が弱く、病気になりがちであった。すぐに風邪を引いたり、おなかをこわしたりして、学校を休んだ。小学校六年生の時には、腸カタルから虫垂炎になり、少し手遅れになってから手術をしたため、腹膜炎を併発して、三週間入院していたこともあった。はたして二十歳になるまで生きられるのかどうか不安で仕方がなかった。

体だけのことではなく、対人関係など各種の問題の中に置かれると、元々意志が弱かったということもあって、これからどうなっていくのか心配で、心が安らぐことは少なかった。ところがどうだろう。クリスチャンになったら、真先に心配事がなくなってしまった。

どうして心配事がなくなったのかと言うと、心配事をゆだねることのできるお方を知ったからである。それは、この天地万物をお造りになった神である。そのお方に心配事をゆだねることができたのである。
「神は、あなたがたのことを心配していてくださるから、あなたがたの思い煩いを、すべて神にゆだねてしまいなさい。」(1ペテロ5:7)

母親譲りの取り越し苦労性の私が、クリスチャンになって一遍で変ったことと言えば、このことである。それまでは、何か嫌なことが起ってきそうになると、必ずあらかじめそのことについて悩んでいたものだ。それが襲ってきたらどうしようかという心配である。しかし、時と場合によっては、それが起ってこないこともある。だから、取り越し苦労性の人は、ほかの人より一回ずつ多く悩むことになる。愚かであると頭では分っていても、それがやめられないのだ。

ところが、クリスチャンになったら、途端に心配性でなくなってしまった。心配事から解放された。クリスチャンになるということは、キリストが私の罪の身代りに十字架上で死んでくださったのだということを、ただ頭で認めることではなく、聖霊による生れ変り(新生)という信仰体験をした人のことである。だから、自分で変えようと思っても変えることのできなかったことを、神が変えてくださるのである。