2008年4月12日土曜日

罪の現実1 - 失われてゆく純粋さ

私たちは一人前の大人になっていくにつれ、大切なものを失っていっていることにどれだけ気付いているだろうか。

有名な女流文学者パール・バックが彼女の経験を述べている本がある。彼女の少女時代の夢は、自分の家が子供たちで一杯になることだったそうだ。ところが、後になって結婚すると、彼女には後にも先にもたった一人の娘しか生れず、こともあろうに精神障害児だったのだ。そのことを知った時の心境を彼女はこう記している(「母よ嘆くなかれ」)。
「避けることのできない悲しみ、どんなにしてこの悲しみに耐えることができるかを学ぶのは、やさしいことではありませんでした。今日になってこそ、それをよく振り返ってみることができますが、それまでにいたるのは、きびしい越えがたい道でした。両親よりも長生きするかもしれない子供の生命を、どうしたら守れるかという問題にくわえて、私たち自身のみじめな生活を一体どうしたらよいだろうかという問題まで、のしかかってくるからです。人生のすべての明るさも、親としての誇りもなくなってしまうのです。・・・しかし多くのことを私は娘から学びました。とくに、娘は私に忍耐することを教えてくれました。・・・私が歩まなくてはならなかったこの最も悲しみに満ちた道を歩む間に、私は人の精神はすべて尊敬に値するということを知ったのでした。すべての人間は平等であり、そしてまた人間として同じ権利を持っているということをはっきり教えてくれたのは、ほかならぬ私の娘でした。・・・私はどんな人でも、人間であるかぎり、他の人々より劣等であると考えてはいけないと、そしてすべての人はそのいるべきところと安全を守られなくてはならないと思うようになりました。・・・娘はまた知能が人間のすべてではないことも教えてくれたのです。娘の性質の中には、何か不思議な真実なものがあって、あらゆるうそがはっきり分るようでした。そして、どんなうそも彼女は決して許しませんでした。何かすぐれた純粋さを、娘は持っておりました。」

今日、私たちの間には、真実とか純粋というものが失われ、損をするか得をするかという損得勘定しか優先しない恐るべき功利主義を見るのは何とも悲しいことではないだろうか。