2008年4月6日日曜日

人間はなぜ幸福でないのか9 - 罪意識を持っているから(2)

私たちは自分に対する深刻な嫌悪の泥沼からどうやって這い上がってくることができるだろうか。自分に対する嫌悪の念から自分を憎む余り、自殺するかもしれない。またある人は、酒やタバコや薬物の中に身を置いて、それをごまかそうとするかもしれない。またある人は、人間なんてどうせこんなものなのさと考えて、すべてを浅くごまかしながら生きて行くかもしれない。またある人は、自分で発見した自分の姿をそっと隠し、再び仮面を付けて生きていくかもしれない。

けれども、自分の厳しい現実の醜い姿を、そのままありのままに受け入れざるをえない。そういう生き方をする人もいると思う。しかしいずれにしても、そういう時に取る態度が私たちの人生を決定的なものとしてしまうことを覚える必要がある。

ある人は、自分が過去においてしたある事のために、罪意識を覚えるかもしれない。ある一人の人のことだが、この人は第二次大戦の時、中国へ行って、そこでただ一度だけ人殺しをした。 彼は斥候に遣わされて行き、ふっと姿を現わしたら、向こうにも斥候らしい兵隊が姿を見せた。殺すか殺されるという土壇場で、その人は銃で敵方の斥候を撃ったのだ。自分の見ている前で相手は倒れた。

彼は戦争が終り、復員して帰って来た。しかし帰っては来ても、人を殺したという思い、心の中の罪意識を、どうすることもできなかった。ほかの人は彼にこんなことを言ってくれた。「あなたが悪いのではない、戦争が悪いのだ。」また別の人は彼にこんなことも言ってくれた。「あなたよりももっと多くの人を殺している人がいくらもいるんじゃないか。あなただけではないんですよ。」いくらほかの人からそのようなことを言われても、心に平安は来なかった。

その人は、普通の仕事に就くことができず、奉仕的な仕事に就いた。けれども、そんなことによって、自分の過去を償うことはできなかったのである。主イエス・キリストによる罪の赦しの宣言を得るまで、彼は本当の人生を回復することはできなかった。

私たちは罪意識を持ったままであれば、幸福になることはできない。多くの女性が堕胎をし、それが殺人行為だということが分っているだけに、水子供養をしたりするが、そんなことによって良心の呵責が取り除かれることはありえないのである。