2008年4月1日火曜日

健康について 5/8

1946年に、カナダのハンス・セリエ教授がストレス学説を発表した。それによると、風邪は寒さが誘因となり、風邪のばい菌が感染することによって起ると考えられていたものが、実は寒さやばい菌はストレスを起させる原因としての役割を果すだけで、ある人はそれによって感冒を起し、ある人は扁桃腺炎を起し、ある人は腎臓病を、ある人は喘息を起すというのだ。もちろん、このことはそれまでの医学でも一応は認められていたのだが、それらの風邪や扁桃腺炎や喘息や腎臓病なども、結局は感情の刺激によって起るものだという指摘は、それまでの医学の病因論を根底から揺るがすことになったわけである。

それでは、感情的な刺激はいつでも病気を起させるのだろうか。ここのところはちょっと専門的になり難しくなるので、ごく簡単に説明すると、こうなる。たとえば、体の中にストレスが加わった場合、体はむざむざとそのストレスを起させるものの犠牲になって、病気にかかってしまうものなのかと言うと、そうではなく、そこにはこれを防衛するものがある。それは、副腎皮質ホルモンがが分泌されるわけで、これは脳下垂体から向副腎皮質ホルモンという内分泌物質を出し、それが副腎皮質へ行き、副腎皮質ホルモンを出させるのだ。この脳下垂体に命令を下すのが間脳、つまり自律神経中枢だ。だから、この間脳と脳下垂体さえしっかりしていれば、どんなにストレスが加わっても、びくともしないということになるわけである。

こうしたことから分ると思うが、病気にならないためにも、また病気が治るためにも、間脳という感情神経中枢が平静であることがどうしても必要なのだ。そうすると、どうやら病気になったり、病気が治ったりするのは、その人の心に平安があるかどうかということになる。それをさらに突き進めていくと、信仰の問題になる。信仰があれば、心に平安が与えられ、そうすれば、病気にかかることもなく、たとえかかっても治りやすいのである。

ある人が病気になり、いくら薬を飲んでもなかなか治らない。よく聞いてみると、いつも自分の所に来る看護師を憎んでいたのである。彼女が不親切だったからである。ところが、聖書の中に、「あなたの敵を愛しなさい」(ルカ6:27)と教えられていることを知って、今まで憎んでいたその看護師を憎むのをやめようと思い、そのことを決心したら、とたんに病気は治ってしまったという話がある。