2007年10月27日土曜日

キリスト教を信じることの利点 1/6

キリスト教はご利益宗教ではない。それなら、キリスト教を信じても何も良いことはないのか。そんなことはない。この世においても良いことはあるし、来世においても良いことは沢山ある。この世においては、どんな良いことがあるのかについて考えてみよう。

1. 自分自身が良く分かる

私たちは、自分自身のことを分っているつもりでも、案外よく知らない。自分を買いかぶっていることが多い。自分はそれほど悪くないと思っていたり、自信が強かったりする人が多いのだが、ちょっと大きな失敗をしたりすると、今度はすぐに自信を喪失してしまったり、生きていけないほどの失意のうちに陥ってしまうものだ。それは、自分の姿を本当によく知らないからである。

人間が自分自身の姿を本当によく知らないのは、罪のために心の目が盲目にされてしまっているからだ。それでは、どうしたら自分の本当の姿を知ることができるのだろうか。自分の本当の姿を知っているのは自分自身だと思っている人が多いのだが、実はそうではない。私たちの本当の姿を知っているのは、私たち自身なのではなく、神なのである。すべてを見通しておられる神だけが、私たちの本当の姿をご存知なのである。

だから、神を知り、神から教えていただかなければ、自分の本当の姿を知ることはできない。それでは、神はどのようにして私たちにその本当の姿を教えてくださるのだろうか。それは、神の言葉である聖書を通してである。私たちが聖書を読む時、そこには私たちの姿が映し出されている。聖書は私たちの心を映し出す鏡のようなものである。

それでは、聖書は私たちの姿をどのように映し出しているのだろうか。聖書は私たちが罪人であると教えている。私たちは、いつでもほかの人の欠点だけが見えて、自分の欠点が見えない者だ。ほかの人を責めてばかりいる者だ。何よりもこれが罪人の特徴である。自分が罪人であるということは、聖書によって初めて分ることである。

罪人とは、そのままの状態では滅んでしまう存在のことだ。そのような危険な状態にいることを教えてくれる。病人は、まず最初に、自分が癒されなければならない病人であることを知る必要がある。同様に、私たちは救われなければならない罪人であることを、まず最初に知ることが必要なのである。