2007年10月23日火曜日

実存的問題-死 4/5

もの心がついてから、私にとって死はまことに恐怖の対象であり続けた。もちろん、今、思い出しても、格別これと言った出来事にぶつかったわけではなかった。確かに、私が三、四歳の頃、祖父が死んだ。しかし、今思い返してみても、それが私にとって死に対する恐怖を呼び起こす契機となったとは言えない。けれども、いつのころからか、私は、人はなぜ死ぬのだろうかといった疑問を抱くようになっていた。なぜ人は死ななければならないのかという疑問は、私の場合、死に対する恐怖にまっすぐにつながっていっていた。死さえなければ、この世の中はどんなに楽しいものか分らないのにと思った。こうした死に対する恐怖は、おそらく私が生まれながらに体が弱かったということとも関係するのではないかと思う。すぐに風邪を引いたり、おなかをこわしたりして、寝込んでもしまったし、よく色々な病気にもかかった。そしていつしか、私はそう長くはこの世に生きることはできないにちがいないと一人で思い込むようになっていった。

死、この不気味なものに対する恐怖は、成長していくにつれて薄れていくどころか、いつも私の心の片隅を占領していた。何をやっても、いつもその最後が見えてしまうつまらなさを、よく味わったものである。たとえば、お正月などにトランプや何かをして、みんなで遊ぼうということになっても、その終わった後のむなしいばかりの倦怠感を思うと、やる気が起らないのだ。そして、そうしたすべてのものの上に、私は目ざとく死のかげを見て取っていた。死が長くそのかげを投げ掛けているのに、どうして楽しんだりすることができようか。人生におけるこの不気味なものを解決しない限り、人生そのものを楽しむことはできなかった。死をもってすべてが終わってしまうと考えただけでも、すべてはむなしいもののように思われた。そして、私の小さな頭で到達できるところと言えば、たかだかそのあたりまでにしかすぎなかった。

このように死を恐れた私でも、あの第二次世界大戦が激しさを増し、みんなが戦争に加わらなければならなくなると、自分だけが安全地帯に立っていることは許されないという気持になった。そして旧制中学を出ると、陸軍経理学校へ行った。そこは現役の将校を養成する学校なので、士官候補生として、日夜激しい訓練を受けた。