2008年5月7日水曜日

聖書について2

聖書は良い本だけれども分りにくいと言われる。毎年わが国では数百万冊の聖書(分冊をも含めて)が人々の手に渡っているというのに、その約九割は読まれていないというのだ。どこにその原因があるのだろうか。それは、読んでも分らないのだと言われているのである。

それでは、どうして読んでも分らないのかと言うと、どうやら翻訳に問題があるらしい。もちろん聖書が本当に分るためには、信仰を持って読まなければならないわけだが、実はそこまで行かないところで、さっぱり分らないのだ。それは、聖書が書かれた時代の風俗や習慣が、今日私たちが生きているわが国のものと全く違っているのに、そのような歴史的、社会的、文化的な違いをほとんど考慮に入れずに訳しているところにあるのだ。

従来使われていた聖書翻訳の原則は、「原語に忠実」、一点張りだった。「原語に忠実」で何が悪いのかと思う。しかし、原語に忠実だけではだめなのである。むしろ、歴史、社会、文化の違いを考慮に入れた、「原文の意味に忠実」ということが重要なのだ。これは、アメリカ聖書協会の翻訳主任であった言語学者ユージン・ナイダ博士によって提唱された「ダイナミック・エクイバレンス」という翻訳理論である。そしてこれは、キリスト教界においてだけでなく、一般に使われている翻訳理論でもある。キリスト教界では、現にウイックリフ聖書翻訳協会の宣教師がこの翻訳理論を使って、世界各地で聖書を翻訳している。

聖書というものは、元来、それを読むだけで分るものであったはずだ。読むだけでは分らず、その説明文が必要であったとしたら、それをも加えたものを、神は私たちにお与えになったはずである。しかし、神が私たちの救いについての御心を示してくださったのは、あの六十六巻の聖書だけなのだ。だから、当然のこと、聖書はそれ自体、神の御心を明瞭に示していたと言うことができる。

それなのに、今日私たちが聖書を読んでも、読むだけではよく分らないのは、翻訳に問題があることに気付いたのである。「原語に忠実」という翻訳原則を変え、「原文の意味に忠実」という翻訳原則に変えて訳した。とにかく読むだけで分る聖書として、三十年余りの歳月を費やして訳した。それが「聖書」(現代訳、現代訳聖書刊行会)である。この翻訳原則に従って訳された聖書に、欧米ではもう何種類も出ていると言うのに、わが国では、この通称「現代訳聖書」一種類のみであることは寂しい限りである。