2008年5月11日日曜日

罪の現実5 - 文学が示している人間の破局性(1)

中世に文学は、神の御前に人間を設定して、その人間がどういう動きをするのかを描いている。しかし近代の文学になると、神を信じる人は必ずしも多くはないので、神との関係において人間を考えるのではなく、人間のうちにあるものをそのまま延ばしていくとどういうことになるのかということをテーマにしている。

ことに日本の近代文学で、その意味から特異な存在として、画期的な位置を占めるのは夏目漱石であると思う。彼の「こころ」という作品があるが、その主人公である「先生」が「私」に語りかける印象深いところがある。
「あなたは未だ覚えているでしょう。私がいつか貴方に、造り付けの悪人が世の中にいるものではないと云ったことを。多くの善人がいざという場合に突然悪人になるのだから油断しては不可ないと云った事を。あの時貴方は私に昂奮していると注意して呉れました。そうして何んな場合に、善人が悪人に変化するのか尋ねました。私がただ一言金と答えた時、あなたは不満な顔をしました。私はあなたの不満な顔を記憶しています。私は今あなたの前に打ち明けるが、私はあの時伯父の事を考えてゐたのです。」

これは、先生という主人公が伯父さん一家にうまくだまされて、伯父さんがその娘と自分を結婚させることにより、自分が父親から受け継ぐはずの財産を取ろうとしていることを知るのである。「アカの他人は信用できない。しかし伯父さんだけは信用できると思っていた」その気持ちが、伯父さんにそむかれて、彼はショックを受けるのだ。

彼は東京の下宿の隣部屋に親友Kを住まわせるのだが、そのKと下宿の娘さんが親しくするのに、心の中で何か穏やかならぬものを感じ始めるようになる。それからしばらくすると、Kからその娘さんに対する愛の告白を聞かされる。彼の心はますます平穏さを失っていく。そして下宿の小母さんに「お嬢さんを下さい」と言うのだが、小母さんからは、「あなたのお友だちにはあなたの方からよく話して下さいよ」と言われるのだが、到底話せない。ある日、お茶飲み話の時か何かに小母さんが、Kにその話をしてしまう。そしてKは思い詰めて、自分の部屋で自殺をしてしまうのだ。

アカの他人も、伯父さんも信用できないところから、今度は自分さえも信頼することができなくなっていくのである。