2008年5月18日日曜日

罪の現実6 - 文学が示している人間の破局性(2)

夏目漱石の「こころ」という作品が、画期的な意味を持つものであるとするならば、その後、そうした人間、あるいは自我というものをそのまま延ばしていった時、どういうふうになるかということを追求していった作家として、私は芥川龍之介を挙げることできると思う。

芥川の最後の作品であり、文字通り遺稿となった「西方の人」「続西方の人」は、言うまでもなく彼のキリスト論であると言うことができる。彼の生涯を見てみると、ある時期にはキリスト教に傾き、ある時期には仏教に傾き、大きく揺れ動いている。彼にとっては、キリスト教が関心の対象になっていたのではなく、聖書を通して伝達されるキリストが問題であったのである。彼はこう記している。「わたしはやっとこの頃になって四人の伝記作者のわたしたちに伝へたクリストと云う人を愛した。クリストは今日の私には行路のやうに見ることは出来ない」(「西方の人」)という芥川のキリストに対する愛がどのようなものであったかは、もちろん、単純に受け取ることはできないとしても、彼の意識が、キリスト教という宗教に向けられていたのではなく、イエス・キリストに向けられていたことだけは疑うことができないだろう。

「西方の人」のキリスト論は、正統的な信仰告白の立場から見ると、それは言語道断というほかないかもしれないが、しかし、芥川が近代日本文学の運動を、ほとんどその絶望にまで突き詰めたところで、主イエス・キリストというお方の前に出たということは極めて重要なことである。しかし、芥川の「西方の人」には、キリストとお会いするという信仰的モチーフが欠如している。

芥川が書いた「西方の人」「続西方の人」というのはイエスのことである。しかし、彼は1927年7月24日の朝、薬を飲んで自殺してしまった。夏目漱石の場合、作中の人物の死を持って終らせることができたものの、芥川の場合、自ら死んでいる。しかも、その枕もとにはたった一冊の聖書が置かれてあった。

芥川は、「わたしは四福音書の中にまざまざとわたしに呼びかけているクリストの姿を感じている」とはっきり書いている。それなのに芥川の場合の問題は、彼が書いた「西方の人」の中のイエスに対する見方にひそんでいる。芥川にとって、イエスは宗教的天才、天才的ジャーナリストでしかないのである。