2008年2月16日土曜日

人間はなぜ幸福でないのか2 - 間違ったところに幸福を求めている

多くの人が幸福になれないでいるのは、間違ったところに幸福を求めているからである。ある人は、欲望の充足が幸福につながると思っている。あれを自分のものにすれば幸福になる、またこれを得れば幸福になると思って、いろんなものを求めている。

けれども、幸福というものは、そういう欲望が満足するという路線の上にはない。どんなに欲望が満たされても、魂は飢え渇いているという現実を私たちは知っている。だから、いくら欲望という路線を追求していっても、人間は幸福になることはない。

また、ある人は、他の人と比較して自分が幸福であるかどうかを確かめようとしている。しかし、他の人と比較する場合、どういうように考えるのかと言うと、「あの人より自分は幸福だ」と考える人はほとんどいない。他の人と比較して、「あの人より自分の方が学校の成績がよかったのに、どうしてあの人は出世してしまい、自分は駄目なのか」と思い、自分の不幸さ加減をかこつのだ。また、「あの人は自分よりも器量がよくなかったのに、あの人はあんな幸福な結婚をしている。それに反して自分の方は・・・」というふうに考え、自分は不幸だと思う。他の人と比較する場合、そのほとんどは自分の方が幸福だと考えないのである。

また、ある人は華やかなところに幸福があると思っている。新聞に自分の顔写真が載るとか、ラジオやテレビに出演することが幸福だと思っている人がいる。ある人は、一生懸命になって自分の親戚、知人、友人に電話を掛けた。「何月何日、何時から、どこそこのチャンネルでテレビに出ますから、見てください。」それがどんなにすばらしいことか分らないが、とにかく電話を受けた人はそれを見た。電話を掛けた人がどこにいるのか分らない。それでもよく見ると、50人くらい後ろの方に座っている人でいて、○か×かを書いたうちわのようなものを上げていたということであったというのである。

テレビに出ることや、華やかに脚光を浴びることが幸福だと思っている人がいるけれども、そういったところに本当の幸福はない。幸福というものは、もっと身近かな、もっと平凡で地味なところにあることを知るべきである。メーテルリンクの「青い鳥」のように、結局は自分の最も身近かな所、自分が見落していた所にあったように。