2008年2月20日水曜日

クリスチャンになってよかった 9/10

この世の中を生きていく上で、人間関係は非常に重要だ。しかし、これはテクニックで出来る問題ではない。確かに、人間関係を上手にやってのける人がいる。営業マンや商売人には打ってつけというような人がいることは事実である。当りが良く、人の気をそらさない。しかし、そういう人はとかくそういうテクニックにたけているだけで、真実味がない人が多いことも事実だ。そういうような人になることがよいことでないことも確かだ。

私はことのほか人間関係が下手で、人の機嫌をとったりすることにかけては、大のにが手であった。教会に来る人を抱きかかえるようにして、「よくいらっしゃいました」などといったようなパーフォーマンスは全くできない。そうすれば、その人はまた来ようという気持になることは分っているのだが、そういうテクニックで人を引き付けようとは思わないのだ。むしろ、本当のクリスチャンになれば、日曜日に神を礼拝するために教会に来るのは当り前のことだと思っている。人に媚びたりすべきではないと思っているのである。

そんな私でも、クリスチャンになってから少しずつ人間関係がよくなってきた。そして、少しずつ分ってきたことは、私自身が変ってきているということである。自分で自分を変えることなどできないのだが、神が私の生き方を根底から変えてくださったので、少しずつ変ってきたのである。

クリスチャンが礼拝に来るのは当り前と思っていたのに、その人が礼拝に来るためにどれほど多くの犠牲を払って来ているのかということを理解することができるようになった。だから、礼拝が終ると、出口の所に立って、礼拝に来られた人々に、一人一人握手をして、その人の安否を問い、ねぎらうようになった。今では、これも礼拝に来られた人々の楽しみの一つになっているようである。

にが手な人とも交わることができるようになった。今でも、そんなに人間関係を上手にやれる方ではないが、それでもクリスチャンになる前とは全く違っている。人と話をするのに、にが手意識がなくなったということが言える。人間関係において大切なことは、いつまでも続く人間関係であって、それは真実な人間関係でなければならない。ごまかしたり、相手を利用しようとしたりするのではなく、真実な友情によって成り立つものである。そこにおいて必要なものは、愛と信頼にほかならない。そして、これはクリスチャンになるとだれにでも与えられる。